くらしはデザインで溢れています。しかし、そのほとんどが一般的に「デザイン」としては認識されていません。生活の「当たり前」には、それぞれ意味があります。通年連載を通して、デザインの奥深さをのぞいてみましょう。
青春時代を振り返るとき、頭に浮かぶのは学校制服を着て笑う自分や友人の姿だという日本人は多いだろう。今振り返ってみると、それぞれの学校の個性を表し、私たちの学校生活を彩る「デザイン」のひとつであったといえよう。
和服から洋服へ 制服の黎明期
今日では当たり前に着られている制服が日本の学校で初めて制定されたのは1880年代のことだ。導入当初に制服を着ていたのは男子のみで、女子は紋付の着物に白襟を合わせることが多かった。女子生徒が制服として洋服を着はじめたのはそれから40年近く後のことだ。
この時間差には、技術的な問題が関係していたとお茶の水女子大学の難波知子准教授は話す。1870年代の西洋では、詰め物や針金で腰の後ろからお尻にかけてを丸く膨らませる「バッスルスタイル」が流行していた。ヒップラインのふくらみを強調するためにコルセットを着用し、ウエストを細く見せることが欠かせなかったのだ。そのため、男子の礼服や軍服と比較して、より専門的な技術を要する女性用の洋服を日本で製作することは難しいとされた。
1920年代、西洋でコルセットが着用されなくなったことから、ようやく日本でも女性用の洋服の生産が可能になった。この時代に洋服が制服に定められた。若い女性が改まった場所でも着られるように、当時のヨーロッパの女性服などを参照してデザインされた。
制服導入と同時期、街中ではバスの運転手などがユニフォームとして洋服を着用するようになり、彼女らと女子生徒が間違えられてしまうこともあった。女子生徒らは、中等以上の教育を受けられる一握りの存在である、という自負を持っていたため、独創的な制服による差別化を望んだ。そこで、子供服として西洋で流行し、皇室経由で日本に伝来したセーラー服が制服として人気を博した。
1着ずつオーダーメイドで作られた制服は、当時としては非常に高価だった。制服を自費で購入し、着用した人々の背景には、高等教育を受けられる人間であるという誇りや、新しい時代への高揚感があった。
普遍性と流行の中で 移り変わるデザイン
戦後、誰もが学校教育を受け、制服を着られるようになった。その反面、男性は詰襟、女性はセーラー服という画一化が進んでいた。
大きな転機が訪れたのは1976年。学校制服を生産しているトンボ学生服が「スクールアイデンティティ」という考えを提唱した。学校個別のオリジナルブレザーを持ち、それぞれの個性を表現する、という動きが全国に浸透していった。現在、学校の特色あふれる制服があるのはそのためだ。
学生服は時代を反映する側面もある。近年は女性用のスラックスの採用や、リボンではなくネクタイを採用するなど、ジェンダーレスを意識したデザインが増えている。
しかしデザインは、トレンドを追うばかりではない。学校ごとの制服は、10年、20年先でも着用できるようにデザインされる。時代に合いながらも、普遍的であることが求められ、そのバランスが学生服デザインの肝である。
制服の存在意義について、トンボ学生服広報担当の槇野陽介さんによると、連帯感を増す、学ぶ精神的なスイッチが入る、生徒間の服装の差がなく、いじめなどの問題の軽減ができる、防犯対策となるなど、制服には多くのメリットがあるという。「今後も生徒の学校生活をサポートする『教材』の一つとして提供していきたい」
学校制服は時代に合わせて、素材やデザインの大きな変化を遂げてきた。時に学びへの誇りを示し、時に学校それぞれの特色と連帯感を示した。制服は個性を殺しているのではないか、と揶揄されることもあるが、個性を隠すことで生徒を守ることもあるし、個性に応じたデザインも体現してきた。制服の変化は常に、次世代を担う子どもたちにとって、学生生活がよりよいものとなるように、という大人たちの想いを反映しているのかもしれない。
(川上ゆきの・仮屋利彩)