最近、ニュースなどでよく雇用情勢が好調だということを聞く。確かに直近の失業率、有効求人倍率はそれぞれ1990年代前半、高度成長期直後と同等の水準となっており、さまざまな業界で人手不足が叫ばれている。一方で必ず引き合いに出されるのが、賃金の伸びが鈍いということだ。雇用の改善が進んでいるのに賃金が伸びていないことが、好景気を私たちが実感しづらい一つの理由になっているといえる。
日本の賃金がピークに達したのは1996~97年のことだ。バブル崩壊後、しばらくは企業も不況を一時的なものと見なして労働力確保に動いていた。だが、平成不況の長期化とともにその後賃金は減少の一途をたどることになった。
これにはいくつもの要因が重なっていると慶大経済学部の太田聰一教授は指摘する。まず、不況を受けて企業側が正社員の賃金引き上げに慎重になったことや、賃金を抑えられる非正規雇用労働者が増えたことが挙げられる。その背景にはサービス業の割合増加や業務のIT化によって、非正規労働者が対応可能な仕事が増えていたことがあった。
そのほかに、女性や高齢者の就労が増加したことも一因だ。これによって労働供給が増え、需給がひっ迫しなかったことで賃金の伸びが抑えられた面があるという。2014~15年には好景気もあってようやく下げ止まったものの、その後の伸びは緩やかなものにとどまっている。
政府は消費の活性化を狙って、産業界に賃金の引き上げを働きかけている。最低賃金もここ数年は3%程度引き上げられており、今年10月に最低賃金は全国加重平均で874円になった。これには低所得層の支援も目的にあるといわれるが、貧困対策として最低賃金引き上げは得策ではないと東大大学院経済学研究科の川口大司教授は言う。そもそも最低賃金労働者の多くは主婦のパート労働者などであり、世帯収入は低くない。そのため、世帯収入が低い層への対策としては不適当なのだという。
より効果が見込める政策として考えられるのは、貧困世帯をターゲットにした生活保護の給付付き税額控除である。これは所得が上昇しても生活保護をその分減らすのではなく、還付される税額控除もその分引き上げるというもので、これで働く人の労働意欲も維持できるというのだ。
川口教授は「労働力の供給が続いている現状では賃金が上がりにくくなっているのはむしろ当然で、無理に上げようとすることは雇用に悪影響を与える」と話す。労働需給はいつかひっ迫する時が訪れ、賃金は自然に上がるようになる。重要なのは好景気を持続させることだ。
太田教授も、「持続的な賃金上昇を実現するには、日本経済が長期的に成長することが必要であり、そのカギとなるのがイノベーションだ」という。それを引き起こすには起業環境だけでなく大学教育の見直しなど社会全体での幅広い取り組みが求められている。
(根本大輝)