いざ、当時の経営陣のもとへ
探偵は六本木にある喫茶店、アマンドで人を待っていた。バブル絶頂期には待ち合わせの定番だった場所らしい。そこにやって来たのはジュリアナでそれぞれ支配人・副支配人を務めていた内藤公嗣(まさし)さん(52)と高野博文さん(53)だ。
二人によれば、ジュリアナは「バブルの残り火みたいなもの」だという。バブルの崩壊後にオープンしたジュリアナだが、中ではバブルの雰囲気がまだ残っていた。その余韻の中で、多くの人が発散の場として集まってきていたと話す。
ジュリアナが社会現象になった理由について、二人は複数の要因があったと考えている。
第一に立地条件。80年代後半から芝浦地区はおしゃれなベイサイドエリアとして注目されていた。
第二に話題性。ジュリアナは、総合商社である旧日商岩井株式会社とイギリスの企業・ウェンブリーの子会社であるジュリアナがコラボして生まれたものだ。「ジュリアナ」という名称はここから来ており、英国にあったディスコを東京に輸入したという形となる。
実際ジュリアナの正式名称は、「JULIANA’S TOKYO British discotheque in 芝浦」だ。他のディスコと異なり外国人がDJを務め、イギリスのディスコを意識した運営がなされていた。高野さんはジュリアナを「ディスコの黒船襲来」みたいなものだと話す。
また、巨大な倉庫空間をディスコとして使用していたこと、当時の音楽の潮流がジュリアナに流れていたものと重なったことも、大盛況へとつながったと二人は見ている。
閉店間際のことについて、探偵は裏事情を聞くことができた。ジュリアナは昼間、店のスペースを貸していたそうだが、その時間にお立ち台で踊っていた女性が突如裸になってしまうという問題が起こった。これが営業時間内のこととして雑誌で報道されてしまい、警察の指導が入ったのだという。そして、その出来事は女性とカメラマンが組んだやらせ行為だったことは明白だそうだ。
その後、客足が減少したジュリアナは「クリスタルステージ(光るお立ち台)」を作ってリニューアルし、再起をはかろうとした。しかし時すでに遅し。経営側が悲鳴をあげて閉店に至った。流行ったものは必ず廃れていくのが世の定めで、ジュリアナも例外ではなかった。
調査目的の一つである慶大生について聞いてみると、客層は社会人がほとんどで学生は少なかったそうだ。しかし他に当てはない。二人に慶大生が見つかったら連絡してもらえるように陳情した。
後日、高野さんより連絡が―「ジュリアナに行っていた慶大生が見つかりました」