神宮球場では白熱した早慶戦が繰り広げられているが、杜の都、仙台には「杜の都の早慶戦」と呼ばれる一戦がある。仙台一高と仙台二高が戦う、硬式野球定期戦だ。両校の硬式野球部が、毎年5月中頃に、楽天生命パーク宮城で試合を行う。定期戦が始まったのは1900年で、実は第1回早慶戦の開始よりも3年早い。

定期戦が、「早慶戦」と呼ばれるゆえんは、高校野球の一試合とは思えない規模の大きさにある。試合会場は東北楽天イーグルスの本拠地で、多くの生徒やOB・OGが集う。試合前には一般生徒が仙台市中心部の商店街で大規模なPR行進も行う。地元の新聞やテレビでも取り上げられ、県民の注目度は高い。

杜の都の早慶戦と本家早慶戦、この「二つの早慶戦」と強い縁を持つ人がいる。仙台二高硬式野球部監督の金森信之介さん(33)だ。金森さんは仙台二高と慶大で硬式野球部に所属し、「二つの早慶戦」を経験した。慶大卒業後は教員として仙台二高に戻り、硬式野球部の監督を務めている。

金森さんが慶大を志望した理由は、当時のチーム事情にあった。「当時の早大は青木宣親(現ヤクルト)、鳥谷敬(現阪神)などが所属していた黄金世代。そこに慶大が挑むという構図だった。この構図が、強豪校に挑む仙台二高の姿と重なった。早大と慶大を比べた時、私が進むべき先は慶大だと決心した」

一念発起した金森さんは、一般受験で慶大を受験。総合政策学部に現役合格し、入学した。金森さんは厳しい練習に食らいつき、百人以上の部員の中から、キャッチャーとして25人のベンチメンバーに入った。金森さんは「努力すれば一般入学の生徒にも活躍のチャンスが与えられていた」と振り返る。

金森さんによると早慶戦と定期戦の共通点は、学校を挙げた応援だという。「定期戦には代休があるし、早慶戦では慶大が休講になる。生徒・学生の期待や、学校の看板を背負っているという重圧を強く感じた」と振り返る。

金森さんは、定期戦ならではの特色として「応援団幹部と和太鼓の力強い応援」を挙げる。一高・二高の新入生は約一カ月間、応援団幹部の指導を受け、10曲以上の応援歌を身につける。多くの生徒は入学当初、その応援指導の厳しさゆえ応援団幹部を恐れるが、定期戦で全身全霊を懸け応援する姿に尊敬の眼差しを向けるようになる。

戦後の定期戦の通算成績は仙台一高32勝、仙台二高31勝、9引き分け。接戦が続いている。両校のプライドがぶつかり合って譲らないのだろう。

金森さんは今後について「自分もまだ成長の途中。過去の指導に後悔することもあるが、それでも前に進む」と語る。杜の都仙台ではこれからも、熱い熱い「もう一つの早慶戦」が繰り広げられるだろう。

(太田直希)