死者、約1万5千名。行方不明者、約2‌5‌0‌0名。2‌0‌1‌1年の東日本大震災は、多くの命を一瞬にして奪った。被災地は復興への道を着実に歩んでいるが、震災から8年が経とうとしている今もなお、多くの人が仮設住宅で暮らしている。震災が与えた傷は、あまりに大きく、根深い。

一方で、震災で大津波に襲われながらも、被害を免れた地域がある。岩手県宮古市の姉吉地区。明治・昭和期に相次いで起きた三陸地震の悲劇を繰り返さないよう、石碑にこう刻まれた。「此処より下に家を建てるな」。その教えを守った住民たちは、未曽有の大災害を生き抜いた。明治三陸地震の教訓が、百年の時を越えて町を救った。

明治三陸地震は、1‌8‌9‌6(明治29)年に三陸沖を震源として起こった巨大地震である。地震の規模を示すマグニチュードは8・2で、死者は2万人を超えた。明治三陸地震と11年の東北地方太平洋沖地震は、発生のメカニズムこそ異なるものの、共に津波により多数の犠牲者を出した。日本人はこのような巨大地震・津波を何度も経験してきた。

「喉元過ぎれば熱さも忘れる」、「天災は忘れたころにやってくる」という言葉がある。人類は過去に起きた災害の被害を忘れ、同じ過ちを繰り返してきた。この悲しみの連鎖を食い止めるためにはどうしたらよいのだろうか。

災害の伝承というと、石碑が思い浮かぶ。実際、姉吉地区は石碑により救われたし、東日本大震災以降は被災地に多くの石碑が建てられた。しかし、石碑に刻まれた先人の思いは、伝わらないことも多い。宮城県名取市の閖上地区にも、津波への用心を訴える石碑があったが、震災では多くの人が津波に飲まれ亡くなった。

災害伝承のあり方は、モノに限らない。形には表せない「価値観の伝承」で、命が救われた事例もある。その一つが、三陸地方に伝わる「津波てんでんこ」という考え方だ。「てんでんこ」とは「それぞれ」という意味。津波が来たら親兄弟構わず各自で逃げよという伝承だ。

慶應義塾普通部・太田教諭

防災教育に詳しい慶應義塾普通部の太田弘教諭は、「どんなに過酷な自然環境でも、そこに人がいなければ人的な災害は起こらない。まずは逃げることが大切だ」と、「津波てんでんこ」の有用性を評価する。経験に裏打ちされた正しい理解に基づき、的確な対策法を受け継いでいくことが大切だ。

地震を科学的に検証した記事を掲載した=『時事新報』(明治29年6月21日付)

実は、慶應義塾ゆかりの「時事新報」は明治三陸津波と深い繋がりをもつ。時事新報は、1‌8‌8‌2(明治15)年に福澤諭吉により創刊された日刊新聞。明治三陸津波の発生時には、他紙が津波被害の悲惨さを中心に伝えたのに対して、災害のメカニズムを科学的に分析した記事をしばしば掲載した。

福澤研究センター・都倉准教授

慶應義塾福澤研究センターの都倉武之准教授は「災害を過剰に恐れることなく、冷静に捉えている。実学の精神が反映された記事だ」と分析する。都倉准教授によれば、ここでの「実学」とは、すぐに役立つ実践的な知識ではなく、物事を科学的・合理的に分析し、自分の把握可能なものにしていく営みを指すという。

政府の地震調査研究推進本部によると、今後30年の間に、南海トラフ地震は80%、首都圏におけるマグニチュード7クラスの地震は70~80%の確率で起こると予測されている。太田教諭は「地震がいつ・どこで起こるのかを完全に予知することは不可能。緊急地震速報の出た直後と発生後の対応が大切」と訴える。

災害大国、日本で生きる私たち。命を守る行動をとるには、過去の教訓を生かすこと、そして災害のメカニズムを正しく理解することが大切だ。正しい知識はいつでもどこでも、自分を守る強い味方になる。次の災害が近づく今、過去を冷静に振り返ることが求められている。

(太田直希)