くらしはデザインで溢れています。しかし、そのほとんどが一般的に「デザイン」としては認識されていません。生活の「当たり前」には、それぞれ意味があります。通年連載を通して、デザインの奥深さをのぞいてみましょう。
古くから日本に伝わるデザインの一つに「家紋」がある。自らの家や出自を示すマークとして、江戸時代までに階級の高い家はもちろん、庶民にも浸透した。家紋は戦国時代の武将のよろいやかぶとから、商店街のお店の軒先に小さく描かれたものまで、かつて幅広い用途があった。
家紋研究の第一人者であり、日本家紋協会会長の高澤等さんは、家紋で家を表す文化について、「間接表現を好む日本特有の文化からくるのではないか」と話す。
今から約千年前、平安貴族たちが自分たちの牛車に交通安全の紋章としてマークを付けた。その際、身分の高低を区別するために異なるものを付け始めたのが、家紋の起源だと言われている。家を文字でなく紋で示し始めたことについて高澤さんは「家紋も同じで、直接的な表現は野暮だという考えがあるのでは」
大河ドラマ「西郷どん」の主人公・西郷隆盛の属する薩摩藩の藩主・島津家の家紋は、丸の中に十文字が描かれている。十文字の紋は、諸説あるが、鎌倉時代に由来する。
鎌倉時代、源頼朝公は家臣に、十文字が描かれた饅頭を与えていたという。古代より中国では「十」は健康寿福の意味合いがあり、縁起の良いものとされた。その饅頭に描かれた十文字にあやかり、島津氏の祖・忠久公は、子孫の繁栄を祈って「十」を丸で囲んだ、今日まで伝わる形の家紋を作ったといわれる。
室町時代以降、一般庶民にも家紋は普及した。名字を持たない職人や商人たちが、勝手に名字を名乗るようになり、それに伴い家紋も持つ家が増えたからだ。また、本家から分家の枝分かれが進んだため、家紋のバリエーションが増えると、家紋を区別するためにモチーフを丸で囲んで区別することが増えた。また江戸時代になると、家紋を紋服につける際、紋を丸で囲むことで収まりを良くしたとされる。このころ、絵師は家紋のデザインをコンパスで作成するようになった。一見複雑なデザインでも、実は丸の組み合わせでできているものは多く、結果的にデザインの画一化も起きた。このように、今日では丸を基調としたデザインの家紋は多い。
識字率がまだ低かった明治維新以前は、「まっすぐ行って、『桐の紋』を右に曲がったところ」などと、文字が読めない人たちのための一種のコミュニケーションツールでもあるほどなじみ深かった家紋。しかし、明治時代以降は識字率の上昇や「家」概念の希薄化で家紋の存在は薄れていく。現在では冠婚葬祭や一部の企業ロゴ、街の小さな料亭などでしか見ることができない。
高澤さんは「家紋はただ美しいだけでなく、その裏には必ず意味があり、読み取るための知性と教養が大切。表面しか見ない人はいけません。家紋の意味を知るためには広い知識が必要で、その意味では家紋は『日本文化の集約』といえると思います」と話す。役割が時代とともに変わっても、家紋は私たちに日本人の心と知性を今も教えてくれる。
(村井純)