2015年夏の甲子園大会決勝、45年ぶりの日本一を狙う東海大相模(神奈川)と東北勢悲願の初優勝を目指す仙台育英(宮城)の一戦。1球の投球が試合を決定づけた。
「たった1球で試合が決まってしまい、野球の難しさ、怖さを大舞台で痛感した。今までで一番勝ちたかった試合であり、今でも一番心に残っている」
当時、仙台育英で正捕手を務め甲子園で熱戦を繰り広げた郡司裕也選手(環3)は静かな口調で当時を振り返る。
「六回に3点差から同点に追いつき、甲子園が僕たちを優勝させるために流れを作っていると思っていた」。今でも映像を見返すほど熱くなった場面だそうだ。勝利の女神は完全に仙台育英にほほ笑んでいたはずだった。
しかし、同点で迎えた九回表、守備につく仙台育英は東海大相模に勝ち越しの得点を許してしまう。先頭の小笠原慎之介選手(現中日)に対して仙台育英のエース・佐藤世那投手(現オリックス)が投じた初球フォークボール。これが決勝の右越え本塁打となり、仙台育英はこの回計4点を失う。そのまま試合は終了し、東北に優勝旗を持ち帰ることはできなかった。
今でもこの本塁打の場面を思い出すことがあると語る。「ホームランの可能性がある打者には不用意な1球は駄目。今でもそのことを念頭に置いて配球している」。今年、東京六大学野球春季リーグの立大戦で本塁打を打たれた時も、「気の抜いた1球は確実に仕留められるということを改めて感じた」という。
甲子園では準優勝に終わってしまったが、その結果をマイナスに捉えてはいない。
「(甲子園準優勝は)後で考えるとすごいことをしたと思った。大学野球を始める当初は、上手くやっていけるかなどの不安があったが、準優勝の自信がスタートを切らせる良い材料になった」
一方で、日本一に対する思いが強いのも事実だ。昨秋の明治神宮野球大会で敗れた環太平洋大戦後のインタビューに対しては、「日本一という目標を必ず成し遂げる」(塾生新聞2017年12月号)と答えている。今季の全日本大学野球選手権大会でも日本一には惜しくも届かなかったが、「日本一になりたいという思いはずっと続いている」とまっすぐな目を向ける。
甲子園について尋ねると、「自信をくれた場所」と思慮深く答える。「自分がプロを目指そうと志した原点。甲子園で活躍できたことで、自分の野球に対する思いは大きく変わった」
甲子園での現実は試合が行われる瞬間だけのものではない。その後も関わった人に自信をもたらす。甲子園はそのような力を持つ「不思議な場所」なのだろう。
(曽根智貴)
郡司裕也(ぐんじ・ゆうや)
1997年12月27日生まれ、20歳。高校野球の名門校・仙台育英高校(宮城)では、3年の夏に正捕手として甲子園大会に出場し、東北勢史上初の全国制覇に手をかけた。同年秋に侍ジャパンU-18代表に選ばれ、野球ワールドカップ準優勝。
2016年に慶大に入学し、1年秋から野球部の正捕手に。昨年には7季ぶり、そして今春は2季連続の東京六大学野球リーグ優勝に貢献した。環境情報学部所属。