小惑星の物質を採取し、地球に持ち帰る「サンプルリターン」計画を、世界で初めて成功させた小惑星探査機「はやぶさ」。後継機の「はやぶさ2」は打ち上げから3年半もの月日を経て、27日にも小惑星「リュウグウ」に到着する見込みだ。はやぶさは小惑星「イトカワ」の表面から微粒子を採取したが、はやぶさ2は小惑星に人工のクレーターを作り、地下物質を取り出すというさらなる世界初の実験に挑む。
機体に求められる高精度な動きを実現させているのが、「ものづくり」日本代表とも言える町工場の技術者たち。横浜市金沢区にある下平製作所は、「サンプラーホーン」と呼ばれる試料採取装置の部品を手がけた。従業員30人のうち、部品開発に携わったのはわずか5人だ。
工場を継いで3代目の川口伸児さん(46)は、はやぶさ2のミッションを「サーカス芸のよう」と表現する。小惑星に到着すると、同機は上空で一時停止し、小惑星の表面で爆薬を破裂させる。舞い上がった破片の直撃を受けないよう、機体は小惑星の陰に避難し、安全を確認してから再び爆発地点へ。人工クレーター付近に着地後、サンプルを巻き上げ採取する装置がサンプラーホーンだ。
下平製作所は、サンプラーホーンの中でも、伸展式のバネを結合する部品を提供した。宇宙用部品には軽さと強度が求められ、それらの条件を満たす材質は「難削材(なんさくざい)」と呼ばれるものが多い。「材料が限られている中で、試行錯誤して何度も削り出した。その点ではテレビドラマの世界そのものですね」
宇宙航空研究開発機構(JAXA)に部品製作を依頼されたのは、初代はやぶさのミッションが検討されていたころだった。当時ははやぶさという愛称はなく、「MUSES–C」というコードネームで呼ばれていた。
航空機や人工衛星の部品供給ですでに実績を挙げていた下平製作所。だが、培ってきたノウハウが宇宙開発史で例のないプロジェクトに通用するか、不安があった。図面を見せられ、「一瞬断ろうかと思った」というが、「ノーとは言わず、とりあえずやれるだけやってみよう」と会社の姿勢を貫いた。
初号機の部品は、下は20代から上は70代まで、わずか5人の従業員で2年かけて仕上げた。部品の製作段階では、機体のどのパーツに使われる部品であるか具体的に知らされることはない。後日に詳細を伝え聞き、「えっ、そんなに重要な部品だったの」。下平製作所が提供した部品は、サンプルを載せたカプセルを放出する装置にも採用されていた。
納品を済ませると、また次のプロジェクトへ。はやぶさの帰還は、テレビニュースで見て知った。はやぶさ2が宇宙の旅を続ける間にも、新たに今年10月に打ち上げが予定されている水星探査機「みお」の主要部品を作った。
「町工場でも、宇宙に行く品物が作れることを知ってもらいたい」。初号機の打ち上げを成功させ、さらに難易度の高いミッションに踏み込む2号機と、小惑星探査機の次は水星探査機に挑む下平製作所が重なって見える。「チャレンジ精神の塊」とはまさに日本のものづくりを担う彼らであり、はやぶさ2そのもののことを言うのだろう。
(広瀬航太郎)