J1 の横浜 F・マリノスに所属する中町公祐選手(32)にインタビューを行った。中町選手は慶大体育会ソッカー部出身で現在もJリーグで活躍している。
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―Jリーグ開幕当初の日本サッカーに対する印象は
すごくJリーグに注目が集まっていたという印象です。自分はすでにサッカーをやっていたので熱意も増しましたし、Jリーガーになろうと思うようになりました。
―高校卒業後にJリーガーになったきっかけは
高校2年のときに試合を湘南ベルマーレの育成担当の方が見に来ていて、自分に目を掛けてくれ、高校3年のときに正式なオファーに至りました。文武両道を自分の人生の軸にしていて大学に行ってからJリーグに行くと考えていたから悩んだけれど、目の前にある有名クラブからのオファーを断ることはできないと思って親に直談判しました。
―その後体育会ソッカー部に入部したきっかけは
4年間ベルマーレでプレーしてクビになってしまいチームを見つけられていなかったのと、あとはせっかく入った大学なので卒業したいという気持ちも強かったです。そのほかにも色々な状況が重なり、もう一度アマチュアに戻る決断をしました。
―大学サッカーを経験されてご自身の考え方に変化は
ソッカー部に在籍していた2年間は今の自分を形成していると言えるくらいに大事な2年間。プロでは自分が活躍してなんぼでチームメイトも蹴落としていかなきゃいけないけれど、ソッカー部は組織というものに重きを置く部活で、試合に出られなかった部員も試合に出ている人のために全力で力を発揮するという考え方がすごく新しく感じました。そこからチームを勝たせるためには何をするかを考えるようになって、サッカーへの向き合い方が変わりました。23歳のときに3年として入部しましたが、1 年の仕事も自分からやらせてほしいと言って始めて、全てを与えられていた環境から全てを捨ててやれました。このときの経験は、今で言えばマリノスという組織の中での自分の見せ方に繋がっています。そのほかには、途中から入部した分、部員や監督にどうしたら信頼してもらえるかというのを最重要視して過ごしていました。人間力のようなものはこのときに養われたと思っています。
―大学サッカー出身の Jリーガーの増加について
大学サッカーを経験して、自分と組織の位置関係やバランスが上手く取れるようになると思います。高校卒業後だと前のめりに自己主張してしまいがちだけど、大学サッカーを経て社会に出る前の勉強のようなものができて、組織にどうアジャストできるかというのを身につけられると思います。
―Jリーグの今後の発展について
僕が考えているのはサッカー選手が文化人として日本で認められるにはどうするかということ。例えばボランティアとか地域貢献とか、サッカーをやっている上でこういうこともやってますというのが充実してくると、地元の人たちがマリノスの選手かっこいいよねとかJリーグのあのチームの人すごいよねってなってくるものだと思います。
―塾生に向けて一言
慶應義塾っていうのを背負ったからには、そのプライドを持つとともに慶大生にしかできないことを常に考えて行動してほしいと思います。慶大に入ってよかったなと思うのも刺激的な人たちに出会えたということで、この出会いはすごく重要だから、そういうのを生かして自分の行動に反映していってほしいです。
(聞き手=高根奈々)
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