私たちが何気なく触れているテレビのニュース。そこにはいったいどのような裏側が存在するのだろうか。慶大法学部卒で、長年報道・情報番組を担当してきたフジテレビアナウンサーの須田哲夫さんにお話を聞いた。
須田さんは、キャスターとして、多くの事件や事故の現場を飛び回り、様々な人にマイクを向けてきた。ただ、全てを伝えきれないジレンマも抱えていたという。
「感情を表に出している人は、何かを発信したい意思があります。そのことに耳を傾け、伝えることこそがジャーナリズムです」
須田さんには忘れられない記憶がある。1983年にスペインの空港で起きた航空機同士の衝突事故。日本人34人を含む93人が亡くなった大事故の取材だ。ご遺族が「須田さんがやってきた」と泣き始めてしまったという。取材される立場の人間になってしまったことを、須田さんを見て痛感したのだ。須田さんは、自分が相手からそう思われることにショックを受けた。同時に、場面として記憶に残る映像の力、テレビの伝える力を改めて考えさせられたという。
須田さんがニュースを伝える際に常に心がけていることがある。物事を客観的に見ること。テレビの世界では「俯瞰で見る」という。「深く取材するためには対象者に近づいた方がいい。しかし近づきすぎると内容が偏ってしまう。その距離感を見極めることが、難しいが大切です」と語る。
その一方で、伝え手としての視点をどこに置くのかも重要だという。平等性を考え、俯瞰し、起きている出来事との距離感を見極めて視点を決める。そうした上で、視聴者に対して「こういう視点で見たらどうか」と訴えかけるのだ。
須田さんは、人生でなかなか経験しないこと、つまり「異常」を伝えるのがニュースだと考えている。各地で起こる珍しい事件や事故のことだけを指しているわけではない。ニューヨーク支局で勤務していた際には、日本の視聴者が知らないであろうニューヨークの「日常」を発信した。例えば、ニューヨークのサラリーマンの朝食。これも日本の視聴者にとっては経験しないこと、すなわちニュースなのだ。
ニュースのあるべき姿について「変わっていくものであり、今あるかたちを目指すべきではありません」と須田さんは話す。テレビ的な伝え方とは、スタンスを持つことなく今も模索するものであるようだ。
(城谷陽一郎)