台湾東部の花蓮駅に降り立つ。台北から特急で約2時間、高い建物がところ狭しと並ぶ台北に比べ、少し低い建物が並ぶ花蓮の街では、すぐ向こうに高い山々が連なるのが見える。道路に下がる赤い提灯が夜になって明かりを灯し、台湾の旧正月を祝っていた。つい3週間もしない前に大地震が起こったとは思えないほど、街は穏やかで活気があった。
花蓮市は台湾東部にある人口約10万人の小都市。日本統治時代に作られた街で、旧駅や酒造工場といった当時の建築物が現存し時代を物語る。山脈が海の近くまで迫り、花蓮市の北には雄大なスケールを誇る太魯閣(タロコ)渓谷がそびえる。七星潭(チーシンタン/しちせいたん)と呼ばれる美しい海岸とあわせて、花蓮県全体がまさに海と山に囲まれた自然豊かな地だ。
花蓮を地震が襲ったのは先月6日深夜のこと。マグニチュードは6.4、震度7を記録した。この地震で一部のビルの倒壊や橋への亀裂といった被害があり、17名が死亡した。市内にある総帥大飯店(マーシャルホテル)は建物の低層階が潰れて傾き、特に被害が大きかったために、その様子は国内外のメディアで大きく報じられている。日本は国際緊急援助隊を現地へ派遣し、ネット上では「#台湾加油」というハッシュタグとともに励ましの声が相次いだ。
だが、街の様子というのは行ってみなければわからないものだ。花蓮に着いた日、倒壊したとされる総帥大飯店へ向かうと、目を疑うような光景が広がっていた。そこにはホテルの跡など何一つなかったのだ。真新しいアスファルトが敷かれた駐車場に変貌し、車が何台も停まっていた。しかも地震発生から約10日後には整備が終わっていたのだというのだから、そのスピードには驚くばかりだ。被害のあった他の建物や橋も取り壊しや修繕が進み、地震の痕は確実に消えつつある。
今回の地震で大きな被害が出たのは米崙(メイルン)断層上の建物だ。そのため被害は限定的で、ビルの倒壊といった衝撃的な映像が報道される一方で、街のほとんどは普段と変わらぬ生活を送れるようになっていた。花蓮市内で民宿を経営する片桐秀明さんも、地震直後に断水があったものの4日後には復旧し、他の不自由はなかったという。余震は直後の1週間警戒が必要だったが、それ以降は1日1~2回に減り、記者の滞在中にはほぼ落ち着いていた。
それでもやはり、大地震が起きた直後で現地の様子もあまりわからないとなれば、心配になるのも無理はない。街は普段通り機能しているにもかかわらず、多くの旅行客は警戒して滞在を中止してしまった。花蓮の有名な景勝地である太魯閣渓谷では、通常時なら観光バスをはじめたくさんの車両が往来し、狭い道ではすれ違うのに一苦労するというが、取材時にすれ違った車はまばら。席が空くのを待たねばならないほど混雑するという渓谷内の天祥の食堂は、空席が目立っていた。「報道は裏読みが必要。倒壊したホテルばかりテレビに映るけど、それしか映らないということは、それ以外(の被害)はないってこと」と片桐さん。少しずつ観光客は戻りつつあると言うが、春節を目前に控えた時期に起こった地震の痛手は大きい。
(次ページ:花蓮はどんな場所なのか)