まだ年が明けて間もないとある冬の寒い日、息を切らしながら筆者と友人は石段を登っていた。やっとの思いで登り切った先に待っていたのは、京都の町並みが広がる絶景だった。ここは、京都は東山にある霊山護国神社。明治維新に貢献した英霊を祀る招魂社だ。
明治維新に尽力し、近代日本建国の礎となった坂本龍馬も祭神として祀られている。毎年、命日である11月15日には、「龍馬祭」が催される。没後150年にあたる昨年は全国からファンが詰めかけ、龍馬や同じく同社に祀られている盟友の中岡慎太郎らの遺徳をしのんだ。薩摩と長州を斡旋し、薩長同盟締結に多大な貢献をした龍馬のことは、誰しもが知っている。
近い将来、その龍馬が教科書から姿を消すかもしれない、という報道には誰もが驚いた。昨年11月、高校と大学の教員らでつくる高大連携歴史教育研究会が、「用語が多すぎる」として教科書本文に載せる用語を現在の3500語程度から約半分にすべき、と提言した。この発表が話題となったのは、坂本龍馬などの歴史上の偉人が削除候補として挙げられたからだ。
今年、明治維新から150年の節目を迎える。西洋列強に追いつけ追い越せと血と汗を流して奮闘した幕末の志士たち。現在の日本が世界から高い信頼を得ているのは、こういった憂国の志士たちの功績があったからということを忘れてはならない。しかし、龍馬の没後150年の節目の年に、教科書から削除されるかもしれないとの発表は、あまりにも皮肉だ。霊山に眠る彼も草葉の陰で泣いているかもしれない。
(村井純)