東京メトロは、上野―浅草駅間に日本で初めて地下鉄が開業してから先月で90周年を迎えることを記念し、「TOKYO METRO 90 Days FES!」を開催している。「東京銭湯ウィーク」は、地下鉄を乗り継ぎながら、東京の隠れた魅力を「再発見」してもらう取り組みの一環として企画された。下町の老舗銭湯5軒が、それぞれの街を表すテーマに沿って生まれ変わるという特別な一週間である。
夜8時。西日暮里駅で千代田線を降り、最初に向かったのは「ホタル風呂」がある斉藤湯だ。日暮里にほど近い寺町・谷中は、かつてホタルが集まる名所として知られていた。現在でも、「蛍」の名前を冠した地名が町の随所に残っている。
浴場の扉を開けると、目の前の広々とした空間に驚かされる。奥行き、天井の高さともに、こじんまりとした外観からは想像もつかないほど開放的だ。
2年前にリニューアルしたばかりの清潔感のある浴場を横切り、露天風呂へ。そこで目に入ったのは、浴槽の中を漂う橘色の光だ。いくつものボール型の照明がゆらゆらと行き交う様子は、確かにホタルの動きにも似ていた。
加えて、竹格子が街の喧騒を遮り、より一層の落ち着きを与えてくれる。男湯らしからぬ幻想的な世界に浸りながら、ホタルの見物客で賑わった江戸時代の日暮里にしばし思いを馳せた。
「ホタル風呂」を後にし、千代田線と日比谷線を乗り継いで上野へと向かった。企画に参加している銭湯の中でも一際目立っていた「VR風呂」なるものを体験するためだ。
「仮想現実」とも訳されるVRは、ゴーグル型の端末を頭部に装着することで、コンピューターが映し出す映像を360度、実世界のように体験することができる話題の技術だ。日本の近代化とその後の産業発展の中心地であり続けてきた上野らしいテーマと言える。
下町情緒あふれる小路に、住民が通いつめる銭湯がある。樹齢1000年以上の古代檜風呂を売りとする日の出湯だ。
血行を促進する森林浴作用があるという檜の浴槽でくつろいでいると、噂のゴーグルを渡された。身体は湯に浸かったまま、VRヘッドセットを装着する。突如、眼前に火山地帯が現れた。顔を下に向けると、そこにはマグマが。湯の温度が一気に上がったように感じられた。
日曜日は通常であれば開店時に2、3人が並んでいるというが、この日は「VR風呂」を体験しようと店の前に大行列ができた。日の出湯4代目の田村祐一さんは「店を開ける時、びっくりして一度扉を閉めた」と今までにない反響の大きさに驚く。
好評を博した「銭湯ウィーク」は終了したが、東京の伝統文化への気づきを提供する東京メトロの試みは続く。東京で生活しながら見過ごしてきた「都会のオアシス」がまだあるかもしれない。定番のフルーツ牛乳を飲みながら、身も心も軽やかに終電間際の上野駅ホームへ滑り込んだ。
(広瀬航太郎)