教育制度は、その時代で求められる能力によってさまざまに変化を遂げる。高度経済成長期の日本では、能率重視を背景に、暗記暗唱型のいわゆる「詰め込み教育」が行われてきた。これにより、日本は世界でも有数の経済大国へと成長を遂げた。
しかし時代が変わり、日本は経済発展が頂点に達すると、これまでの教育制度の見直しが迫られ始めた。改善点の一つが、人間性の回復である。今までの「詰め込み教育」では、子供たちがゆっくりと何かを考える時間がなく、また人間の価値や優しさなどを学ぶ機会がなかった。そのため、学校現場が荒廃し、いじめ問題も増え始めていた。
産業面では、ほかのアジアの国々がかつての未開発時代を脱して一定の生産が可能になり、日本と同じような製品をより安価で売ることができるようになった。その結果、日本は新しく高度で付加価値のある製品を生み出す必要を迫られた。
そこで1970年代後半から、「ゆとり教育」が始まった。詰め込み教育で失った人間性の回復、そして、世界で通用するような未来を切り開く力、提案する力を身に着けさせる。これがゆとり教育の狙いであったと早稲田大学教育学部の水原克敏教授は話す。
ゆとり教育は、週休二日制を導入し、「総合的な学習の時間」を設けることで、時間に余裕のある教育を目指した。また、道徳教育を導入することで、人間性の回復にも努めた。
しかし、結果はうまくいかなかったと水原教授は分析する。理由の一つとして、総合的な学習の時間が活用されなかったことがあげられる。本来この時間は、新しい学力を高めるための要の時間であった。研究論文を書いたり、問題に対して考察したりすることが望ましかったが、実際は多くの学校がその時間を持て余していた。
また、入試制度は詰め込み教育の時代とあまり変わらず、ゆとり教育が目指した新しい学力を問うような試験問題を作ることができなかった。勉強方法は今までと変わらないが、授業時間は減っているため、結果として学力低下が叫ばれるようになってしまったのである。
こうした事態を受け、いま再び教育は転換期を迎えている。新しい教育のコンセプトは「コンピテンシー」である。コンピテンシーとは産業社会人の実用的な能力を指す。学校外でも通用する能力を身に着けさせることが狙いだ。これに伴い、大学の入試制度も変わろうとしている。2020年度にはセンター試験が廃止となり新たな試験も導入される。そこでは、記述式問題が増えるほか、英語も民間試験を活用し4技能を評価する方式に変わる。
しかし、こうした変化に対して、水原教授は「学校が労働者を作る場所になってしまう」と危惧している。「コンピテンシーを高めるよりも、未来を洞察し、構想するような人材を作らなければいけないのではないか」と水原教授は話す。
教育制度は、今も変わり続けている。しかし、平成に入ってから求められている能力は変わらない。提案する力、未来を切り開く力。これらの能力は、これから社会に出ていく我々にとって必要不可欠な能力となる。どのようにして鍛えていけばよいのか。教育制度の変化をたどっていくとそのヒントが見えてくるかもしれない。(鈴木里実)