普段サッカーに興味がない人も、代表戦やW杯になると皆で注目し、国全体で盛り上がる。サッカーは今や日本で最もメジャーなスポーツの一つといえるが、人々の一体感や背景にある共同体の団結感は他のスポーツよりも強固に感じられる。なぜだろう。
サッカーに留まらず、敵と味方という構図を作るスポーツは、仲間意識、ひいてはナショナリズムに結び付きやすい。だがサッカーの場合、関連性はもっと根深いとフリーライターの清義明氏は指摘する。サッカーは元々、村と村との戦いを通じて成立したスポーツである。民族の団結をサッカーが作り、サッカーの熱量を民族の団結が生みだして、ともに発展してきた。最近独立を巡って揺れるスペイン・カタルーニャのクラブ、FCバルセロナは最たる例だ。このクラブが民族のアイデンティティーを象徴しているといっても過言ではない。
歴史の浅い日本のサッカーにも、日本全体に及ぼした影響はある。Jリーグが創設される以前、日本サッカーはプロのリーグがなく無名だった。かつて「Japan as No.1」と言われ、世界で存在感を発揮していた日本だったが、Jリーグが創設された1993年になると、バブル崩壊によりどこか自信を失い、下を向いていた。そんな日本人にリーグや代表の強化というゼロからの「成長物語」は希望を与えたという。
また2002年の日韓共催のW杯は日本と韓国の関係を変える役割の一端を担った。以前は韓国が軍事政権下だったこともあり、近くて遠い存在だった。だが民主化やネットの普及、そしてW杯によって状況は一変した。日韓の接近は、韓流ブームという文化的交流をもたらしたが、一方でナショナリズムのぶつかり合いも生じた。両国がサッカーに歴史的背景を乗せて煽りあい、スリルを楽しむことが、大いに試合を盛り上げた。しかし、それは度を越した嫌韓や反日感情が沸き上がる原因にもなった。
サッカーは他のスポーツ以上に、仲間意識や一体感を生む。日本代表の試合後、渋谷のスクランブル交差点でサポーターが集まってハイタッチをして盛り上がる光景は、ニュースで見たことがある人も多いはず。集まる人々は、心の中でサッカーによって生まれる一体感を求めているのかもしれない。
一方で、差別主義のような度を越したナショナリズムと結び付きやすいのもまた特徴である。近年ではSNSによって、自分と同じ意見以外を切り捨てて受信しやすく、暴走に拍車をかける危険もある。
サッカーは単なるスポーツの枠を越え、時に民族や国家など共同体の結束と併せて語られる面も大きな魅力のひとつではないだろうか。私たちには、結び付いたナショナリズムの良い点と悪い点を見極めつつ楽しむ姿勢が求められる。
(杉浦満ちる)