今年は湘南藤沢キャンパス設立20年目に当たる。最先端の技術と設備を備えた新キャンパス設立の経緯を塾生新聞は終始報じていた。塾生新聞の過去記事から藤沢新学部設立までの日々を振り返りたい。
藤沢新学部構想が初めて塾生新聞で取り上げられたのは1986年1月号でのこと。新学部構想を発案した石川忠雄塾長(当時)は塾生新聞のインタビューに応じていた。
―世の中が非常に複雑になっている。科学技術の進歩にともなう工業化社会の発展の結果として、新しい社会がどこにどう落ち着ついていくか誰もよくわからないという不透明な時代になっているわけです。従って学問の対象としなければならない領域もそれだけ広がっているし、学問と学問の境界領域の研究教育も大切になってきています。(昭和61年1月10日付)
「学問と学問の境界領域の研究教育」という言葉より、石川氏は当初から学際的な研究施設の設置を目指していたことが分かる。
▼65年4月開校を目標に(昭和61年10月10日付)
石川氏が語った構想の計画は本格的に始動した。
慶應義塾の藤沢進出について、現在、新学部を六十五年四月に開校する方針で計画が推進されていることがこのほど明らかとなった。(中略)また新学部検討委員会など先に塾長説明会で公表された新学部計画も本格的に始動するはこびとなった。
▼「国際関係学部」「社会管理学部」が有力(昭和62年1月10日付)
今ではなじみの総合政策・環境情報という学部名。当初は全く違うものであった。
本紙が入手した同委員会の昨年十一月末までの審議結果をまとめた内部向けの中間発表資料によると、この段階で「国際関係学部」と「社会管理学部」という二つの学部が候補として挙げられていることがわかる。
新2学部の名は、当時としては画期的であったようだ。
今回初めて、「社会管理学部」という聞き慣れない名前が登場した。(中略)このような名称の学部が他大学にも例を見ないだけにこの案が公表された場合の各方面からの反響が注目される。
▼「実践重視」鮮明に(昭和62年4月10日付)
最終的に2学部の名は「環境情報」「総合政策」に落ち着く。
「環境情報学部」および「総合政策学部」の二学部が同委員会の結論として塾長に報告され、発表当日の評議委員会で承認をうけた。これら二学部とも国内ではこれまで例がない。塾当局では「二十一世紀の実学」と表現しており、かなり実践的な色彩の濃いものとなっている。
▼藤沢新学部カリキュラム案公表(昭和62年12月10日付)
学部名に続いて、カリキュラムが公表された。
カリキュラムの基本構成は、一般教育科目、両学部共通科目、学部共通科目、コース科目、の四段階に分かれており、これに人工言語、自然言語、保健体育が併設される形となっている。
情報処理が語学科目とみなされている点は注目に値する。
語学は自然言語=外国語、人工言語=情報処理で構成され情報処理教育が極めて重視されている。
▼文部省から正式認可(平成2年1月10日付)
1989年12月、文部省から正式認可が下りた。記事には新時代に向けた学際研究、情報処理・外国語教育に力点を置く学部理念が示されている。
藤沢の両学部は、二十一世紀の学問の在り方を先取りし、豊かな発想で様々な角度から問題を捉え、解決に導く能力を持つ人材を人間と環境、情報と情報処理能力、総合的判断、グローバルな視座と視野、創造性の五つを重視していきながら養成していくことを目的としている。
▼藤沢に一万七千人志願(平成2年2月10日付)
今年度は湘南藤沢新学部の開設初年度にあたり、総合政策学部が約八千人、環境情報学部は約九千人と大手予備校の予想をやや上回る志願者を集め、新カリキュラムへの関心の高さを物語っている。(中略)総合政策・環境情報両学部には、総合政策は志願者一九、八倍の七、九三二人(定員四〇〇)、環境情報には二二、五倍の九、〇一六人(同四〇〇)を集め、両学部に対するPR不足という不安も杞憂に終った形だ。
2009年度一般入試では2学部の定員各275人に対し、総合政策学部で3550人、環境情報学部で3458人が志願した。今年度入試と比較しても、開設初年度の受験生の藤沢新学部に対する関心が高かったことが伺える。
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総合政策・環境情報両学部が日本における学際教育・研究機関の最先端に位置していることは、設立当時も現在も変わらない。設立までの経緯に思いを巡らせて芝を踏めば、いつものキャンパスが新たな姿で目の前に現れるかもしれない。