絶え間なく進歩を続ける科学技術。その発展は平成の時代においても目覚ましいものであった。今、我々はスマートフォンを持ち、人工知能を搭載したロボットが人の代わりに仕事をする。昭和の時代には想像もつかなかったことが、現実になっている。
なかでも平成を象徴するのは、インターネットの登場である。インターネットは距離を克服し、帯域の制限をなくした。これによって産業構造にも変化が生まれた。製造業を中心とする第二次産業はより厳しい時代となり、サービス業が主である第三次産業ではグーグルやフェイスブックなど新たなインターネット関係の企業が生まれ、盛り上がりを見せている。
さらにビッグデータを集められるようになったため、サービスはテーラーメイド化していった。個人の嗜好に合わせてサービスや情報を提供できると同時に、生産者側も消費者にピンポイントに効果的に商品などを宣伝することが可能になったのだ。このようにインターネットの登場・発展によって恩恵を得る部分も多くある一方で、検索履歴や個人情報、行動など、全てがデータとして見られていることを忘れてはならない。
科学技術の発展に伴い、イノベーションのジレンマが発生している。自動運転技術を導入することによって事故は100分の1、1000分の1に減ると言われる。一方で事故が起きた際の責任の所在が定まらないといった理由から導入はなかなか進まない。しかし、自動運転技術を導入した場合に比べれば、導入していない社会は100倍、1000倍危険ということになる。科学技術に対し人はどうすべきか、ジレンマが発生しているのである。
たしかに科学技術の進歩は問題もはらんでいる。しかし、「だからと言って技術を拒むと社会としては莫大な損失を被る」と慶大理工学部教授であり慶應義塾先端科学技術研究センターの副所長でもある山中直明氏は語る。タカタのエアバッグ事故でこれまでに13人が死亡した。それと同時に、13万人がタカタのエアバッグのおかげで助かったといわれる。これらは科学技術の進歩の表裏である。真実はどこにあるのかを見極めなければならないという。
人工知能についても、人間の仕事が奪われるといわれているが、当分はそのようなことはないと山中教授は言う。これまでも、人間が工具で掘っていたところをブルドーザーが掘るようになり、必要な労働力は減少した。徐々に変わっていくのであり、それは自然の摂理だ。安易に情報に流され心配しすぎる必要はない。
急速な進歩を遂げる科学技術。私たちはそれに飲まれてはならない。しっかりと向き合い、ともに生きていくのだ。
(井上知秋)