広告のコピーと聞いて、人はどんなイメージを抱くだろうか。面白い、斬新、キャッチ―、あるいは、奇をてらったものというイメージかもしれない。しかし概ね、コピーというのは一度聞いたら忘れられない印象深さを持つ。短いうえに簡単な言葉しか使っていないにも関わらず、だ。
こういった心に滑り込む言葉というのは、コピーに限らず私たちの身の回りにあふれている。卑近な例だが、落ち込んだ時に友人にかけられた一言で心がスッと軽くなった人もいるだろう。
しかし、印象的な言葉を生み出すのは想像以上に難しい。言語というのは、日常的に慣れ親しんでいるからこそかえってアレンジしにくいものだ。では、そのプロであるコピーライターは、言葉をどう料理しているのだろうか。
代表的なコピーに「ココロとカラダ、にんげんのぜんぶ」(オリンパス)などがあるコピーライターで、関西大学社会学部教授の山本高史氏によると、コピー作りに特別なスキルやセンスは必要ないという。「必要なのは、伝える相手を知ること。知らないことは閃きようがないからです。だから知的経験を積まないことには始まりません」
知的経験には、実体験や疑似体験(映画など)のほかに、思考することで脳にフィードバックされるものがある。何かを発見し、疑問を持ち、自分なりの意見を得ることが、一つの経験として脳に蓄えられるというわけだ。蓄えられた知的経験は、「伝える相手を知る」ことの役に立つ。
では、具体的にはどんな知識が必要なのか。山本氏は、それは楽をしようとする者の疑問だと斬る。どんな思考が役に立つのかは、アウトプットの瞬間までわからない。たとえば、登校中に目に入った吊皮の形について考える、といったような些細なことさえ、もしかすると言葉の伝え方に繋がってくるかもしれない。山本氏は問う。あなたは今朝見たものをきちんと思い出すことが出来るだろうか。知的経験を増やすには、些細なことをも拾っていく精神が必要だ。
言葉を紡ぎだす上で忘れてはならないのが、言葉は凶器にもなりうるということだ。とあるCMが「育児をする母親に寄り添っていない」と批判を浴びたのは最近の話。言葉は時として思いがけない伝わり方をする。
山本氏は「言葉は受け手が評価するもの。送り手は受け手を想像しなければいけません」と話す。受け手が何を考えて生活しているのか想像しないと、言葉は受け手を傷つけかねない。この受け手への想像力は、相手を知らないことには生まれない。やはり知識量がものをいうのだ。
伝える相手をよく知ること。そのために普段から周りに目を配り、捉えようによってはくだらない小さなことも観察し考え、知的経験を増やすこと。一見遠回りに見えるが、これこそが最も確かな、伝わる言葉を生み出す方法なのかもしれない。
(神谷珠美)