「汽笛一声新橋を」、という歌を聞いたことがあるだろうか(知らないという人も、品川駅、東海道線の発メロなら聞いたことがあるだろう。あれである)。明治33年に大和田建樹によって作詞され、当時の大流行となった鉄道唱歌だ。ところで歌詞に出てくる「新橋」とはいったいどこだろうか。たぶん大体の人は山手線の新橋駅を思い浮かべるだろう。だが実は違うのだ。
現在の新橋駅は、昔は「烏森駅」と言い、この歌の新橋駅とはまったく違う駅だった。歌に出てくる新橋駅は今の汐留の辺り、現在は汐留シオサイトと呼ばれている場所にあった。
汐留シオサイトは現在、日本テレビタワーや電通本社ビルといった100メートルを優に超すビルが立ち並ぶオフィス街だ。だがそんな摩天楼の中に、明治の雰囲気かおる建物が復元されている(写真)。それが旧新橋停車場だ。
2003年、旧新橋停車場は往時の停車場の遺構の真上に、駅舎の外観を復元した建物として建てられた。遺構そのものは保存のために建物の地下にあり、一部は建物の中や周囲から見ることが可能だ。
現在、復元されているのは停車場の駅舎とそこから延びる20メートルほどのプラットホーム。プラットホームの横には、ほんのわずかではあるが、線路も復元されている。そこで使用されたレールは、ほかの場所に残っていた明治期のものを持ってきている。また、レールを枕木に固定する金属も、今とは違う明治期の構造だ。その詳細はぜひ現地におもむいて確認してもらいたい。
停車場の建物の中には旧新橋停車場鉄道歴史展示室という資料館があり、新橋停車場の遺構から出土した切符や鉄道員の制服のボタンなどが展示されている。また、時期ごとに変わる企画展も催されており、現在は6月25日まで『JRバス』が開催中だ。どちらも無料で見学でき、気軽に立ち寄ることができる。
最後に、旧新橋停車場に関する興味深い話を加えておこう。駅舎は米国人のブリジェンスの設計だ。だが西洋風の外観とは裏腹に、屋根は瓦葺、そのうえ外壁の石はじつは木造の骨組みに張り付けたものだった。それでも当時石造りの建物は珍しかったらしく、東京の観光名所になっていたという。その中にとんでもないところから観光に来た者がいたという。なんとわざわざ駅を見に日本海側から何日もかけてやってきたというのだ。
無料で手軽な観光施設。ぜひ、明治人になったつもりで一度立ち寄ってみてはいかがだろうか。
(伊藤周也)