我々にとって最も小さい社会集団、それは「家族」だ。いつの時代にも存在する、家族。その様相は変化しつつあるとよく言われる。では平成において、家族はどのようなものなのだろうか。
そもそも、家族は何をもって定義されるのか。こう問われたら、血縁関係や婚姻関係、共同生活などを挙げる人が多いだろう。しかし、それだけで定義することはできない。世界中にはさまざまな形の家族が存在し、また学術的な分類もさまざまなのだ。
日本では、戦後に成立した「近代家族」が一般的にもっとも想像されるだろう。父が外で働き、母は家事をする。子どもは2人。この近代家族は、平成においてもごく一般的である。前時代的だという批判もあるだろうが、平凡な家族の形として今もなお人々の意識に強く根付いている。
一方、近年では少子高齢化、未婚・晩婚化、共働き世帯の増加とその中での育児の厳しさなど、家族に関してさまざまなことが指摘されている。
そうした流れの中、家族の絆の希薄化や近代家族の崩壊などが叫ばれることもある。現代では家族が機能しなくなってきたかのように錯覚させられるのだ。果たして、平成という時代において、家族の形や我々の持つ家族観は本当に崩壊し、嘆かれるべきものへと変容したのだろうか。
結論から言うと、決してそんなことはない。家族社会学を研究している中央大学文学部の山田昌弘教授は、我々の家族観は戦後70年ほぼ変化していないと言う。上の世代と比べてさまざまな家族の形を受け入れているなど、多少の変化は見られる。しかし理想とする家族の形や、それに関する意識はほとんど変わっていないのだ。
全体の3分の2はこれまで通りの家族を作り、全体の3分の1ほどがこれを維持できなくなっているというのが現状だ。意識が変化したのではなく、経済的な理由によって一部の人が形を変えざるを得ないのだ。
未婚、晩婚、離婚といった夫婦間の問題がその一例である。結婚して生活が安定するのか、もしくは独身の方が安定した生活を送れるのかを考えた結果、結婚を遅らせる、あるいはしないという選択をする人が出てきた。結婚の選択は、感情よりも経済が重要視されるようになったと山田教授は語る。
一方、親子関係は経済よりも感情が重視される。虐待の問題が大きく報道される一方で、お受験ブームから見られるように「子どもにいい暮らしをさせたい」という思いは変わらず大きいままだ。ただ、子どもにいい暮らしをさせるには経済的に安定している必要がある。子どものことを考えても、夫婦間には経済的な安定が重要なのだ。いい暮らしをさせられないのならば、子どもを作らない、子どもの数を増やさないといった選択をする。なお、結婚する時に子どもの生活まで考える傾向は女性により顕著だと言う。
経済成長が見込めない中で、今までの家族生活を続けることが困難になる人も現れた。しかし、家族の形が消滅に向かっているということはない。時代が変わっても、家族という身近で密接な関係は変わらず存在し続けているのだ。
(新山桃花)