最近、駅のホームで次のようなアナウンスを頻繁に耳にするようになった。「歩きスマホは危険ですのでおやめください」というものである。
スマホを歩きながら操作すること、いわゆる「歩きスマホ」が社会問題になっている。手のひらに納まるほどの小さなデバイスを握りしめ、その画面をまじまじと見つめた人々が、駅のホームを雑然と行き交う。我が慶大のキャンパスにおいても、しばしばそのような光景を目にする。
モバイルマーケティングデータ研究所が行った「2016年歩きスマホに関する実態調査」によると、スマホを所有する15歳から69歳649人のうち、歩きスマホでぶつかった、または怪我をしたという経験がある人は11.5%にのぼる。また、そのうち70.0%が「人にぶつかった」経験であるという。しかしその一方で、歩きスマホに対する危険意識は98.3%にものぼる。多くの人が危険意識を持っているのにも関わらず、歩きスマホをやめられないのはいったいなぜだろうか。
歩きスマホの問題は、スマホの依存性と関わっているといえるだろう。周知の通り、今やスマホは日常生活に欠かすことのできない存在だ。業務連絡などはもちろん、あらゆる娯楽に至るまでスマホ一つで解決できる。もはやスマホは、個人の心的世界、あるいはアイデンティティをそのまま投影しているといっても過言ではないかもしれない。現代人にとってスマホを手放すことは、自分を失うのと同じことなのであろう。
さて、スマホの普及によって私たちのコミュニケーションのあり方は大きく変化した。主にSNS上においては、現実の世界で関係を持っている人々はもちろんのこと、まだ出会ったことのない人々とも連絡をとることができる。いつ、どこにいても何をしていても、他者とつながることができるという、夢のような体験が万人にとって可能になったのである。
しかし、この「つながり」は現実世界でのつながりとは決定的に異なるものだ。現実の世界で誰かと一緒にいたとしても、スマホの通知音が鳴れば、瞬間的に「スマホ上の他者」とのつながりを選択することができる。一方で、その「スマホ上の他者」は、スマホを閉じれば簡単に無視できる。さらには、その関係を解消することさえ容易にできるのだ。
果たして、我々は本当に他者とつながっているといえるだろうか。歩きスマホで人にぶつかることがあっても、他者と共に築く関係と真正面から向き合い、ぶつかることができているだろうか。スマホ上の他者の存在から「他者とのつながり」そのものの在り方を問い直す。そうすることで、自分自身が今後どう生きてゆくべきか、その問いを解くヒントを得ることができるはずだ。