「私そんな生意気に見えますか」。誰よりも文明的だった美禰子は、田舎者の三四郎に美術をたしなむことを教えた。女性を知らない三四郎に、自由な恋を教えた。

夏目漱石の名作『三四郎』。ヒロイン・美禰子は自らを取り囲む前近代的な慣習を前に、その生き方に迷いを感じていた。そんな自分の姿と、都会に戸惑う三四郎を重ね、お互いを「迷羊(ストレイ・シープ)」と表現する。

物語の最後に、彼女は用意された縁談をのんだ。「結婚なさるそうですね」と三四郎が尋ねると「我はわが愆(とが)を知る。わが罪は常にわが前にあり」とつぶやく。

誰かが決めたレールに乗ることは楽だ。伝統に背くことは荷が重い。だが楽な道を選ぶと、寂しさが残る。

彼女の言った「罪」は何を指していたのか。誰にもわからない。愛のない結婚を選んだ罪か、三四郎を惑わせた罪か、最後に自分の信念から逃げた罪か。

女性は超えられない壁を前に、「生意気」になることで武装するときがある。私もしばしば「生意気」のハイヒールを履いて生きて来てしまった。

自分の背丈で勝負したい。私の信念は何か。乗りたいレールはあるか。私はこれから、何を頼りに生きてゆこう。
(平沼絵美)