25歳という若さで長編映画監督デビューを果たし、日本の映画業界で今、最も注目される監督となった塾員がいる。在学中に自主映画の制作を始め、これまでに数々の映画祭で入賞した経歴を持つ小泉徳宏氏に、塾生時代の思い出や映画監督になるまでの道のりについて、話を聞いた。

慶應義塾湘南藤沢高等部在学中に映画制作に興味を持ち、慶大進学後、本格的に自主映画の制作を始めた。当初は映画制作とは無縁のサークルに所属していたが、1年の夏にアルバイトで貯めたお金でビデオカメラを購入し、独学で自主映画を制作することを決意した。元演劇部の学生に声をかけて役者を揃え、一本の自主映画を完成させた。その頃はまだ、映画監督を職業にしようとは思っていなかったという。 

映画監督を職業として意識し始めたのは、大学2年の夏に、ある映画制作のワークショップに参加したときだ。「映画監督」という仕事をしている人と初めて出会い、憧れを抱いた。

慶大卒業後、映画やテレビCMの制作を行う株式会社ROBOTに入社した。入社後すぐ、小泉氏に映画監督デビューのチャンスが訪れる。香港映画のリメイク版を制作するという話があったのだ。当時24歳。若い社員に監督を、という社の意向から小泉氏が選ばれた。塾生時代に制作した自主映画で複数の賞を受賞していたものの、長編映画の監督は初めてであった。映画を共に制作するスタッフは経験豊富な技術者ばかり。そのような環境で映画を制作することに苦労はなかったのだろうか。「自分の考えが上手く伝わらず、誤解が生まれることがありました。しかし、経験の浅い私に時には諭すように先輩方が多くのことを教えてくれたことで、誤解が解消されていきました」と当時を振り返る。監督デビュー作となったこの『タイヨウのうた』(2‌0‌0‌6年)は大ヒットし、国内外から高い評価を受けた。

デビュー後の10年間で小泉氏が監督した映画は6本。最新作の『ちはやふる』では、「競技かるた」という、未だ広く知られていない競技を題材にすることで、「スポ根映画の新たな形を提示した」と話す。常に挑戦する姿勢は10年目の今でも変わらない。一方で、共に映画を制作するスタッフやその家族の生活を守るのも映画監督の仕事であると気付いたという。重ねた経験が制作現場を率いる映画監督という仕事への姿勢を変化させた。

先月19日に行われた第8回TAMA映画賞授賞式では、最優秀新進監督賞を受賞した。この賞は本年度最も飛躍した監督に与えられるものだ。授賞式で「15年前、TAMA映画祭のインディーズ部門で(自身が制作した作品が)上映されたことがあります。あれから苦節15年、再び戻ってくることができて嬉しいです」と語った。

今後の抱負を尋ねると、「これまで監督した作品は青春映画が多かったので、社会派映画も制作したいです」と、再び新たな挑戦をほのめかした。 

最後に塾生に向けてメッセージを頂いた。「大学生は、大人の体を持ちながら同時に子供でもいられる人生の中で二度とない時間です。具体的な技術は後からでも学べるので、今はそれより、学生にしかできないことは何かを見極め、自分の心を豊かにする活動にこそ時間を費やしてほしいです」。塾生時代に積んだ経験が、現在の仕事に繋がっている。小泉氏の今後の活躍から目が離せない。
(鵜戸真菜子)