昨年末に発表された高校学習指導要領改正案で、5年後から「英語の授業は原則英語で行う」とされた。ゆとり教育見直しの機運が高まる中、日本の英語教育はますます過熱していくと予想される。しかし依然として日本の英語力は他の国に比べて低い水準にあるとの批判も絶えない。学生は英語とどのように向かい合っていけばよいのか。慶應義塾大学名誉教授鈴木孝夫氏に話を伺った。
我々日本人を取り巻く環境を考えてみると、日常生活の中で英語を使う機会はほとんどなく、外国人との接点も少ない。つまり外国と接触する一部の人を除いて、日本人全体が英語を話す必要は全くないのだ。この事実を踏まえ、鈴木氏は国民レベルでの英語教育は不要であるとし、英語を必修にするのは間違いであると指摘する。「日本人は英語が必要だと錯覚している。まず英語はすべての学校において選択制にし、やりたい人だけが学ぶようにすべきだ」 また授業内容についても問題点を挙げる。現在行われている英語の授業は英米の文学作品や、外国の文化・風俗に関する文献を読むといった訓練が主である。しかし、これでは外国に対して受身の英語になってしまうと鈴木氏は言う。「日本は現在、世界をリードする先進国であり、情報を発信していかなければいけない立場にある。それゆえ外国語教育も発信型へと重点を移行していかなければならない。日本人独特の考え方や価値観、文化や歴史を外国人に説明し、説得できるような人材を養成する必要がある。そのためには英語の教科書の内容を、日本の歴史、文化、社会などにすべきだ」。つまり英語教育の現場でも日本のことを表現できる能力を養っていかなければならないのだ。
さらに、会話力が身につかないとの世論もあるリーディング中心のいわゆる「受験英語」について鈴木氏は次のように語る。「受験英語は必ずしも無駄であるとは言えない。読書力がなければ、内容のある会話は出来ない。受験生は与えられたものの意味を前向きに捉え、勉強に励んでほしい」。
ほとんどの高校・大学で英語が必修となっている現在、多くの学生は半ば受動的に英語を学んでいるのではないか。目の前の課題を達成することに集中し、学ぶ意義をしばし忘れがちになる。これは英語教育に限ったことではない。学習する目的を忘れ、消極的になっていては、得る物も少なくなってしまうだろう。大学全入時代を迎え、多くの人が教育を受けることを当たり前だと考える現代だからこそ、学生には能動的に学習する態度が必要とされるのではないだろうか。
(金武幸宏)