「不寛容社会」という言葉を聞いたことがあるだろうか。今の日本は、マスメディアの報道をきっかけに特定の人が厳しく批判されたり、インターネット上での投稿が炎上するなど息苦しい社会になっている。「不寛容社会」とは、そのような社会を指す言葉だ。
なぜ、日本は不寛容な社会になってしまったのだろうか。その理由としてSNSの発達が考えられる。近年、SNSの急速な発達により誰でも簡単に自分の意見を発信できるようになった。日本でのツイッターの利用者は2011年の約670万人から2015年には約3500万人に急増し、インターネット上の炎上件数も増えている。 最近の例としては、熊本大震災後の「不謹慎狩り」とよばれる現象が挙げられる。熊本大震災直後にインターネット上に被災地の現状を伝える投稿をした芸能人が「売名行為だ」と批判されたり、SNSに笑顔の写真を投稿した芸能人が「不謹慎だ」と非難されたりした。このような状態が続けば、社会全体が萎縮してしまう恐れがある。
SNSの発達だけでなく、マスメディアの態度が不寛容な社会を生み出す要因になっていることも無視できない。マスメディアが不祥事を一斉に報道することで特定の人物が厳しく批判されることがある。しかし、社会で新たな不祥事が生じたり、その人物がある程度の社会的制裁を受けたりすると、途端にその報道は途絶える。マスメディアの役割は間違いを犯した人物を徹底的に批判することではない。どうしてそのような不祥事が生じてしまったのかを検証し、社会をよりよくしようとする報道姿勢がマスメディアに求められる。
私たち大学生にとって、SNSは他人とのコミュニケーションや自己発信のために欠かせないものだ。しかし、大学生がインターネット上に何気なく投稿したものが炎上することもある。不寛容な社会の中で私たちに求められていることは、自分と異なる意見を認めることだ。SNS上では自分と同じ意見を持つ人が固まり、その集団の中だけで主張がエスカレートする傾向があるようだ。自分と異なる意見を主張する集団とは相容れず、自分にとって都合の悪い情報は受け入れないからだ。誰の心の中にも不寛容さは存在しているはずだ。自分と違う意見を持つ集団との間に壁を作るのではなく、異なる意見を認め、理解しようとする姿勢が大切だ。
また、マスメディアの報道を正しく判断する能力を身につけるべきだ。世の中は、膨大な情報であふれている。その中から異なる立場の複数の情報を適切に取捨選択することが必要だ。SNS上での議論では必ずしも意見を一致させ、結論を出す必要はない。だからこそ、異なる意見を活用した有意義な議論が求められる。