世界でわずか16人。リオデジャネイロ五輪に出場できるトランポリン選手の人数だ。棟朝銀河選手(環3)は、その貴重な切符の1枚を見事掴み取った。
五輪出場が決まってからは、体力強化を中心に、合宿やトレーニングに励んだ棟朝選手。海外遠征の経験は多くあったものの、南米の地を踏むのは初めてだった。4年に1度の世界的大舞台の選手村は、あっと驚く壮大な外見を誇っていたが、シャワー断水など内部設備の問題点には悩まされたと語る。
迎えた試合当日、予選では、2つ目の技で足をつってしまったが何とか持ちこたえ、作戦通りの点数で7位に入り、決勝へと進んだ。決勝では予選より演技の難易度を上げると前々から決意していたという。予選で足をつってしまったことから構成の再検討を要したが、トレーナーのサポートもあり、予定通りの高難度の演技に挑む意志を固めた。
しかしアクシデントが起こる。予選終了後、決戦開始までの20~30分ほど練習時間を得られる予定だったが、サブの会場に着くなり”4 minutes”と告げられた。リオ現地のテレビ中継の時間調整のため、練習時間を確保できなくなったのだ。決勝のための練習を十分に行えなかったが、1タッチといわれる30秒ほどの調整時間で最低限の要点を確かめた。「18.0いきます」と高難度演技の点数をコーチに申告し、演技構成を変えずに、決勝へ臨むことを表明した。
全10個ある技のうち、1つ目と7つ目に乱れがあったものの全て跳び切った。自身の点数を目にした棟朝選手は、メダルには絡まないだろうと思ったというが、初出場の五輪で4位に入り込む結果を残した。「最高の演技ではなかった」と悔しさを口にした棟朝選手。一方で、自らの実力や改善点を把握できた試合となったとも話す。
棟朝選手は高校2年時から難度点の日本記録を保持し、大学1年時にはその記録を更新した。直近の目標は自身の持つ日本記録を塗り替えることだという。4年後はトランポリン選手のピークともいえる26歳である。来たる2020年の東京オリンピックで、表彰台の中央に立つべく奮闘する彼に期待せずにはいられない。
(三谷美央)