塾員、浅利慶太氏が脚本・演出を手がける『ミュージカル李香蘭』。激動の戦争の時代を生きた山口淑子の人生を描くミュージカルだ。公演を2週間後に控えた稽古場を取材した。
この日に見たのは、第1幕の幕開けから中盤すぎまでの稽古だった。これまでには短く区切った場面ごとに何度も修正を繰り返しながらの稽古も行っていたというが、完成度の高まってきたこの段階では、大きな流れの中での確認が行われていた。浅利氏は現状に満足せず、感情が入りすぎていないか、言葉がはっきりと聞こえるかどうかという点に常に意識を向ける。1時間近くの長い通し稽古の中で、細かい部分にまで注意を行き届かせていた。
浅利氏は「この作品では、嘘は描けない」と言う。一つの舞台をつくりあげる上で基礎となるものは、台本である。公演に携わる人の中でただ一人戦争を体験した浅利氏は、自身が書いた台本の中に当時感じたことを含ませながら、歴史を克明に記している。日本と中国に起こった出来事や事件は決して単純に語れるものではない。それを見る人にわかりやすく伝えられるよう考え抜かれた末に形になった台本なのである。
その台本に書かれたことをそのままの形で観客に伝えることが、事実を丁寧に描くことにつながる。稽古場ではそこに近づける作業が行われているのだ。浅利氏は、俳優に舞台の上で役を生き、台本に忠実に言葉を届けることを求めている。だから、感情の入りすぎた芝居は目指す方向と異なるものであり、結局は排除されるのだ。
稽古は、終戦直後の上海軍事裁判所で李香蘭が裁判を受ける場面から始まった。中国の人々を演じる俳優たちは李香蘭をとり囲み、自分の家族や友人の命を奪った日本人の姿を目の前の一人の女性に投影する。にらみつけるその目は憎しみに満ちていた。
その直後には、幼い頃を回想し少女・山口淑子が中国で「李香蘭」の名を与えられる場面となる。混沌の戦争期を迎える前の平和な時代、日中の少女たちが屈託のない笑顔で手をつなぎ、「黒い髪、黒い瞳、私たちは姉妹(きょうだい)」と歌うのだ。すぐ前で見せつけられた、彼女を待つ悲惨な未来との歴然とした差に、戦争のもたらすものの重さを感じ、衝撃を受けた。
休憩時間に入っても、稽古中に気づいた点を俳優たちが互いに指摘し合っている様子がみられた。小さな修正を積み重ねた末に手に入れた完成度なのだと感じられた。これから舞台での最終稽古、そして公演へと続いていく。
今回、目で見たのは部分的であったが、この劇全体が劇場で衣裳や舞台装置と合わさると、より浅利氏の求める戦争の時代の事実に迫るものがそこに描き出されることになるだろう。
(青木理佳)