今年4月、東京五輪・パラリンピック組織委員会が2020年5月から7ヶ月間という長期間にわたり、神宮球場の使用中止を求めた。資材置き場や来賓、観客の待機場所として使用するためであり、もしもこの要請通りとなっていれば東京六大学野球は春秋リーグともに神宮球場で開催できなくなるという事態になっていたのだ。
神宮球場の所有権は建設当初より明治神宮にあり、建設の際に多くの資金を融資した東京六大学野球連盟等が球場使用の優先権を持っている。そのため戦後の一時期を除き半世紀以上、一度も中止されることなく六大学野球は神宮球場で開催されてきた。もはや、神宮の歴史と六大学野球の歴史は切っても切れない関係にある。全国の大学野球選手の中で「神宮で戦う」ことを目標にしている選手も少なくなく、大学野球の「甲子園」のような存在とも言える。
また弊紙が独自に行った東京六大学野球春季リーグ戦の観戦に訪れた観客への聞き込み調査を通して、大学野球ファンにとっても大変思い入れが深い球場であることも明らかとなった。「五輪優先で大学野球の伝統を壊されたくない」、「神宮でやるのが六大学野球。他の球場でやるのも嫌だ」といった反対意見が多数を占めた。
結局のところ借用期間が今月1日からの約80日となり、当初案より大幅に短縮された。影響が出るのも秋季リーグのみとなり、開幕を1週間程度遅らせることで対処できるようになった。もちろん、五輪に向け国全体が協力的な姿勢で成功へと進むべきではあるが、今回五輪組織委員会がアマチュアスポーツの大会を蔑ろにした東京五輪至上主義的な態度を示したことは残念だ。また、代替球場さえ4月の時点で提示せず一方的に使用中止の要請を行った傲慢な態度が多くの野球ファンを震撼させたことも事実である。
国民のだれもが納得し国全体で盛り上げられる祭典のあり方を再考することが五輪組織委員会に求められているのかもしれない。