去る4月、違法カジノに出入りした男子バドミントン選手が処分を受けた。昨年の秋に球界の賭博問題が取り沙汰されたのも記憶に新しい。

甘美な響きのある「賭博」だが、発覚すれば火傷では済まされない。予想外な犯罪の落とし穴について法学部の佐藤拓磨教授に話をうかがった。

賭博に関しては刑法第185、186条に記述がある。賭博をした者には「50万円以下の罰金または科料」が、常習なら「3年以下の懲役」が科せられる。

賭博とは偶然の事情に財物を賭けることだ。麻雀や花札はもちろん、将棋やトランプ、スポーツ、果てはジャンケンまでもが含まれる。未確定の結果に金銭や債権(茶菓や食事などの「一時の娯楽に供する物」は対象外)を賭けたらアウトである。

『条解刑法(第3版)』によれば、条文は「国民一般の健全な勤労観念や国民経済等の公益」を守るために存在する。要は、人々がまともに働かなくなり、生活が破綻するのはまずいということだ。

射幸心は健全な社会生活の敵である。世界でも日本は賭博に対する取り締まりが厳しい方だ。佐藤教授は「日本は『金は働いて稼ぐもの』という意識が強く、賭博に対するイメージが悪いのでは」と分析している。 また、組織的な賭博は反社会勢力が仕切っている場合が多い。厳しい規制には暴力団等に資金が流れるのを防ぐ目的もあると考えられる。

例外的に公営ギャンブル(競馬や宝くじ。省庁が監督)やパチンコ(風営法の管轄)は合法だ。これらは地方財政の収益改善や産業振興などの目的で認可される。ただし「敗者(の財産)」は保護の対象ではないので、手を出して破産しても同情以上の何かは期待できない。

さて、「違法な」賭博への刑罰を見て、なんだ、その程度かと思うかもしれない。そもそも個人間の小さな賭け事が裁判所行きになることはほとんどないだろう。

しかし、社会はそんなに単純ではない。ニュースを思い出そう。件のバドミントンや野球の選手は出場停止や無期失格を食らったが、これは刑事罰ではない。協会の規則と世間のバッシングが生み出した、いわば二次的な「罰」である。

そう、落とし穴は裁判所の外にある。「刑罰はあくまで最終手段であり、他に社会的な制裁がある」と佐藤教授は指摘した。例えば学生なら、まず停学か除籍だ。経歴に傷がつく。次いで「法を犯した若者」として世間の冷たい視線にさらされる上、絡みついた射幸心が社会復帰を妨害する。反社会勢力と接点があればこれどころでは済まない。気軽にパンを踏んだせいで沼の底に沈んでいくのだ。

佐藤教授は「あらゆるリスクを考えた上で行動すべきだ」と語った。

結局のところ、人生は自己責任なのである。
(玉谷大知)