金森太我さん、19歳。同じくらいの年代の読者も多いかもしれない。金森さんは昨年新入社員として三陸鉄道に入社した。そして彼は東日本大震災で被災した一人だ。
あの日は、中学2年生だった。卒業式の練習中の体育館を、大きな揺れが襲った。自身は無事、家族や親戚も命を落とすといったことはなかった。ただ、金森さんの住んでいた家が、流された。
2年ほど仮設住宅で生活したのち、新たに完成した家に移り住んだ。「震災を経験したことから、当たり前の生活をしていたことがどれだけありがたかったか、考えさせられた」。その言葉には、今はもうない、かつて暮らしていた場所への思いがにじんでいるようだった。
震災前、将来自分はどうしたいのか、はっきりと決まっているわけではなかった。震災は自身の意志を定めるための大きなきっかけとなった。高校3年生になり進路を決めるという時、自分の中に明確にあったのは「震災のために何かやっていきたい」ということだった。大学進学よりも、早く仕事をして貢献したいという思いが強くあった。そのような時よくメディアで取り上げられていたのが三陸鉄道だった。そこに入社してやっていきたいと思った。入社の日を迎えられることになるまで、その自分の意志を貫き通した。
就職が決まった時は周囲から励ましの声を受けた。両親からもこれからの仕事は大変だと思うので覚悟して頑張れと言葉をもらった。
昨年4月、正式に三陸鉄道の社員となった。不安の中、気を引き締めて頑張っていこうと決意した。入社にあたって三陸鉄道の社員の一人からは、業務は幅広く覚えることがたくさんあり時間もかかるがやりがいのある仕事だと声をかけられた。勤務地は自宅から離れているため、アパートでの一人暮らしだ。現在は線路関係の検査作業、電気関係、土木関係の仕事に励む。
現場で周りをよく見る、たくさんの仕事を覚える。日々さまざまな課題を抱えつつ、業務にあたる。「運転区間も、何年か後には距離が増える。より一層仕事を覚えないと」と未来を見据える。
今の仕事をする中で、復興に貢献し続けたいと言う。「仕事を覚えて、今後何十年もこの仕事一本でやっていきたい」
震災の被害ののち、整備が進んできている東北。「負けずに、もっと明るくなってほしい」、金森さんはそう力強く語る。最後に同じ世代の人へ言葉を残した。「日本では災害がよく起こる。この震災のことを忘れないで、もっと考えてほしい」
2011年3月11日を経験した人は、どこかにその記憶を持つ。金森さんのように東北で被災しその後を生きる人は、今暮らす場所、今周りにいる人を見て、痛みとともにあの日を思い出す。
しかしながら、そうでない人にとっては東北からの場所の遠さ、あの日からの時間の遠さにより、あれほど大きな出来事の記憶ももう深いところに押し込められてしまっているだろう。そして何より、自分で感じられない痛みは想像することしかできない。
同じ世代の人がその痛みを抱えている。そしてそこから生まれた決意を胸に一歩踏み出し、未来を見ている。それをこうして知ることが、痛みに寄り添いこれからを考えていくことにつながるのかもしれない。
(青木理佳)