昨年の12月16日、最高裁大法廷は重大な判決を下した。「夫婦は同姓でなければならない」と規定した民法750条が憲法に違反しているかどうか争われた訴訟で、「違憲ではない」と結論づけた。今回は夫婦別姓について、家族法が専門である慶大法学部の犬伏由子教授に話を聞いた。「自分の氏(うじ)」について考える機会になれば幸いだ。

民法750条では、婚姻の際に夫婦同姓にすることを規定している。重要なのは、女性が男性の姓を名乗ることもできれば、男性が女性の姓を名乗ることもできるという点だ。姓を変えることによって生じる問題もある。同一性の認識に不都合が生じ、対外的に認識してもらうことが難しくなる。これは仕事や人間関係に支障をきたし、人格的不利益をもたらす。 氏を持つことによって、個人が自己のアイデンティティーを保ち人格を形成し、社会から認識されることが出来る。結婚による改姓はそれに障害をもたらすのだ。

人格的不利益の他にも、夫婦別姓を主張する側は根拠を示している。一つ目は、婚姻の自由があるにもかかわらず、氏を変えなければ結婚できないという制限があること自体、「自由」ではなく、婚姻の自由が阻害されているという点だ。

二つ目は、世間では女性が姓を変えるものだという暗黙の了解があり、不公平だという点だ。男性が女性側の姓を名乗ることが可能で、「平等は守られるべきだ」というのは建前であり、本音は女性が姓を変更するものだと思われている。

では、なぜ最高裁大法廷は夫婦同姓を定めた民法の規定が、違憲ではないとの判決を下したのか。多数意見では、根拠として氏の変更を強制されない自由が憲法13条にある人格権の適応範囲を超えていること、14条に掲げられている平等は形式的平等であり、「いずれの氏」と規定しているのだから、形式的平等には違反していないことを挙げた。

しかし、人格的利益や実質的平等も保証しなければならない。その際、家族法を規定する憲法24条に照らして民法750条が不合理かどうかをみた。最終的には、「氏は家族の名前であり、社会的にも定着している」こと、「不利益を受けていても通称使用である程度カバーできる」ことを理由に、「不合理ではない」との判断を下した。しかし、この判決は選択的夫婦別姓制度の採用を否定したものではない。それは立法の仕事であり、ある意味で「司法の限界」を示す結果となった。一方5人の裁判官は「同氏を強制しており、他に選択肢を設けない」ことは違憲であるとし、「姓を変更するのが、96%女性に偏っている」のは実質的平等に違反するとした。

自由は見せかけのものでしかなく、不利益を被っている人がいることを忘れてはならない。
(長谷川裕一)