一時は閣僚も務めた総合政策学部の竹中平蔵教授が今年3月31日をもって慶應義塾を退職する。退職を間近に控えた竹中教授にインタビューを行った。
―定年を迎えた今のお気持ちは
若い学生たちといろいろなことを勉強し、議論できたということは、人生の中で大変幸せなことでした。2001年から2006年まで内閣で仕事をしており、その間迷惑をかけたこともあったのですが、内閣での仕事が終わったあとも快く迎え入れてくれた慶大には感謝しています。
―慶大教授になられたきっかけは
ハーバード大学で客員助教授をしていた時に、初代総合政策学部長の故・加藤寛先生から連絡がありました。日本で初めての政策学部を作るから来ないかというお誘いでした。その時ちょうど、アメリカに残ろうか日本に帰ろうかと迷っていたので、大変光栄に感じ、新しい学部で新しい仕事を
しようと思いました。
―ご自身の研究については
経済政策の実証分析をテーマにしています。もともとは設備投資や貯蓄の計量分析から政策的な議論をしていました。その中で実際の政策に携わるようになりました。
―学者と政治家の関係とは
『庭師と植物学者は違う』。経済学者ポール・クルーグマンのこの言葉がよく表していると思います。よい庭を作るには植物学の知識が不可欠ですが、植物学を勉強したからといってよい庭師にはなれません。これは政策を行うことと経済学や政治学、法律学との関係によく似ています。実践と学問との隙間を埋めることが自分の仕事だと思っています。
―政治家や実業家でもある竹中教授にとって大学教授とは
私は基本的には大学教授です。小泉純一郎さんに声をかけられて政界に入りましたが、サッカーのレンタル移籍のようなつもりでいました。だから小泉元首相の任期が終われば、また大学教授に戻るという感覚でした。社会科学系の学者は社会とのつながりを持たないと良い研究も良い教育もできません。私は非常に幸運なことに、「昆虫学者が昆虫になる」ような経験ができました。政策研究者でありながら、研究対象の政策実行側にもなれたのです。研究テーマの現場で仕事をできたことは、研究や教育にとってプラスになりました。
―大学での指導で意識したことは
私のゼミの学生たちは皆、社会で大活躍しています。それはとても嬉しい。でも私が貢献したことはほとんどありません。ゼミに集まった学生たちが全員で切磋琢磨していました。私が何もしなかったことがかえってよかったのかもしれません。
―塾生へのメッセージを
「Compasses over Maps」です。今の時代、地図はすぐに古くなって役に立たなくなってしまいます。アインシュタインの言葉に『教育というのは学校で教えられたものをすべて忘れた後に自分の中に残っているものだ』というものがあります。自分は何をしたいのかという羅針盤をぜひ身につけてください。
【竹中平蔵氏プロフィール】
1951年生まれ。博士(経済学)。一橋大学卒業。ハーバード大学客員准教授、慶應義塾大学総合政策学部教授などを経て2001年、小泉内閣の経済財政政策担当大臣。金融担当大臣、総務大臣などを歴任。現在、慶應大学総合政策学部教授。アカデミーヒルズ理事長、(株)パソナグループ取締役会長、オリックス(株)社外取締役などを兼職。