「流行」とは流れるものであり、いつかは必ず忘れられるものである。それでも世の中には流行を自ら創り出す人々がいる。いつかは廃れるとわかっていながらも、なぜ流行を作り出すのか。なぜ人は流行を追うのか。
なぜ同じ色の服を着て、「ひと口」のために行列を作るのか。
ヒットを生み出すモノ、ことばにある共通点とは。

変わる服、変わらない服
ビームス圧縮39年前の原宿に、6・5坪の小さな店が産声を上げた。『アメリカンライフショップ ビームス』と名付けられたその店が、今では日本を代表するセレクトショップへと進化を遂げている。塾員であり、株式会社ビームス代表取締役社長の設楽洋さんにファッション界における流行の変遷と、その中でショップとして生き残る術を聞く。


設楽社長の塾生時代にはアメリカの文化が少しずつ日本に入ってきていた。幼い頃アメリカのアニメやホームドラマに触れて育った当時の若者たちは、まだ見ぬアメリカへの憧れを抱いてバンドに明け暮れた。設楽社長もその一人であった。夏には広告学研究会で葉山にキャンプストアを出店し、そこで知り合った横須賀米軍キャンプの子供達の持っていたものに衝撃を受けた。彼らと同じものを手に入れたい。これが『ビームス』の原点だ。

その後広告代理店への就職を経て1976年、父の会社の多角化のため原宿に店を構えることとなる。「その頃はアメリカの文化に関する最新の情報を得る手段が全くなかった。ほぼ同時期に創刊された雑誌『POPEYE』の編集者たちと、情報集めと買い付けに奔走した」と設楽社長は当時を振り返る。アメリカのライフスタイルグッズを売る店として、ねずみ取りからコンバースのスニーカーまで、様々な雑貨と洋服を取り扱った。

それから39年間、浮き沈みの激しいファッション業界の中でビームスは常に先端を行くショップであり続けた。次にどんなものが流行するのか、いわゆるファッションリーダーである「早い」と言われる顧客、社員の会話や興味を定点観察することで見極めることができるという。

ビームスが作り出した、70年代後半のロゴトレーナーブームでは、売上の半分をトレーナーが占めていた。また、80年代後半の「渋カジ」ブームでも「紺ブレ」と呼ばれる紺地に金ボタンのブレザーが大ヒットし、ビームスがその一翼を担っていた。「一度、大流行して世の中に出回った商品を、いつ店頭から退けるか。この時期を見極めることは新しい流行を察知することよりも遥かに難しい」商品が一番売れている時、その時にはもうその商品は世の中に広がりすぎている。終え時を見誤ると「早い」人々がビームスから去ってしまう。

客に飽きられない店であり続けるために、時が経っても変わらない良さのある商品は、周りの流行に左右されることなく店に置き続けている。ただ流行に乗るだけではなく、変化する部分、しない部分のバランスを守った品揃えがビームスにはある。「一発当てることは以外と簡単。店として持続することが一番苦労するけれど、この仕事の面白いところ」と設楽社長は語る。

最後に、塾員として「おしゃれな人は、相手の気持ちがわかる人。塾生たちには色々なことを経験して、色々な人に会い、感性を磨いて欲しい」とメッセージを残した。
(平沼絵美)


世界を彩る「流行色」
我々は「色」というものをどの程度意識しているだろうか。今どんな色が流行しているかご存じだろうか。流行色を発表している企業、団体は世の中に数多あるが、その中でも最も大きな注目を集めるのがPANTONEⓇが発表する流行色である。PANTONEⓇはパレットと呼ぶ色の組み合わせであるトレンド・カラーと、1年のシンボルとなる「Color of the year」を発表している。これらの流行色は何を基準に決められているのだろうか。また、色がファッションや社会に与える影響とは何だろうか。香港オフィスのMaryann Wong氏に聞いた。

そもそも流行色はどのように決定されるのだろうか。「パントンでは世界中を飛び回る、流行色を選びパターンを作るチームがあります。ファッションに限らず、経済状況や製作中の映画、社会情勢を加味しながら流行色を決定します」。例えば水質問題や水不足が話題となっているときは青系統の色が流行しやすいなど、社会の様々な事象が色の流行に影響を与えるという。

一方で流行色はどのように社会に影響を与えるのだろうか。「流行とは小さな変化が時間をかけて世界のビジネスに影響を与え、ついには世界のだれもが話題にするようになった最終結果です」とWong氏は語る。彼女は例として青や緑の世界的な流行を挙げた。「青色は空や海を連想させ、緑色も1990年代から自然にと強く結びつけて考えられるようになりました。企業は環境に優しいなどのイメージが伝わることを期待してこれらの色を使うようになったのです」

このように流行色はファッションにとどまらず、社会の様々な事象と密接に関係しているのだ。

では、流行色というものを我々大学生はどのようにとらえればよいのだろうか。Wong氏は次のように話した。「毎年流行色が決まるからといってその色の服を着なければ、と神経質になる必要はありません。その色の小物を身に着けるだけでも流行を取り入れることができますし、何よりも自分が身に着けていて楽しいものや落ち着くものが一番大切です」

今PANTONEⓇが発表する流行色は企業や市場に大きな影響を与え、数多くの企業が色の使い方について助言を仰いでいる。社会の動きや色の持つイメージについてメッセージを発信することに流行色の意義があるとWong氏は言う。

今年、2015年のColor of the yearは「マルサラ」というワインに由来する色である。この色が市場でどのように使われていくのか注目だ。
(安田直人)


「共感」から広がることば
毎年12月に発表される流行語大賞。その年の流行を表す言葉が流行らせた人とともに受賞される。年末にあるこのイベントは誰もが気にかけるものだろう。ここでは言葉の面から「流行」を探ってみる。

流行語大賞の選定委員であり『現代用語の基礎知識』の発行者でもある清水均氏は、言葉の流行は意図的につくりだせるものではないと言う。「言葉が流行するのに最も重要な要素は『共感』。強要や嘘のある言葉に人は好感を抱かない。たとえば、『じぇじぇじぇ』というセリフが大流行したドラマ『あまちゃん』の後釜番組もこれに続けと流行り言葉をつくり出そうとしたが、こちらはうまくいかなかった」

反対に、オリンピック選手が優勝したときなどのひょんなコメントはよく流行ったりする。水泳の北島康祐選手の「超気持ちいい」はその一例だ。ある言葉に対して自然で純粋な共感をもったときはじめて、人はその言葉を使う。この共感が連鎖して流行が生まれるのだ。

人はわざとらしいものを嫌うために、「毎年の流行語には実はあまり共通点がない」と清水氏は語る。既に流行った言葉と似たものや、以前あったようなシチュエーションで生み出された言葉は「くどい」と思われ、むしろ人々に敬遠されるという。また、言葉の流行の強みは「お金がかからないこと」。いったん共感を呼んだ言葉は一瞬で世間に広まるからだ。

一方で、言葉の流行は長くは持続しない。「これが流行語だ」と認定を受けたとたん、人は使うのに引け目を感じるようになるからだ。清水氏は「これは時代の流れを反映している」と指摘する。「高度経済成長期までは皆で同じ言葉を使うことに抵抗はなく、皆がスタンダードな基準や目標に憧れ、進んでいた。しかし一通り豊かになると、今度はアイデンティティを求めて互いに違いを競うようになり、大きな流行もなくなっていった」

言葉の流行は国全体で共有されるものから「より小さい集団」で共有されるものになり、個性を表現するためのツールになった。「流行を使いたがったり、ひとと同じ言葉を使ってギャグを飛ばしあいたいといった雰囲気はもうなくなっている」と清水氏は言う。

それでもなぜ、人々は流行を気にするのか。

「流行への関心の高さの背景には『知らないといけない』という脅迫観念がある。流行を知っておかないと『外す』こともできないし、知らないと悔しい。流行に翻弄されている。あるいはもしかすると、どこかでこの国の人間なのだと確認するところがあるのかもしれない」

趣味や趣向が細分化されバラバラになっていく現在の日本。「個性のための流行」が求められる一方で、やはり人は共通の帰属意識を欲しているのかもしれない。
(児島遥)


「流行」から「日常」へ
ぎゃれっとアシュク
一番人気のシカゴミックスは、キャラメルの深いコクとチーズの濃厚な味わいが絶妙なハーモニーを織り成す。「本物のこだわり」を体現した65年の伝統の味だ。2013年2月の日本初上陸以来、その味を求めて行列が絶えることはない。



その人気店の名は「ギャレット ポップコーン ショップス」。1949年にアメリカ、シカゴに創業した老舗のポップコーン専門店だ。本場シカゴでも約半世紀の間その人気は衰えることを知らない。現在では、日本をはじめ 各国に店舗を展開し、世界中に伝統の味を届けている。

ポップコーンというどこにでも手に入るスナック菓子が、どうしてこんなにも長い間人々に愛され続けているのか。その流行の秘密に迫った。

話を聞いたのはジャパンフリトレー株式会社の矢野佳苗さんだ。コーンを原料とするスナック菓子を販売する会社だが、前社長がお土産で「ギャレット ポップコーン」をもらい、そのおいしさに感激してシカゴの本社に直接コンタクトをとったことが契機となり、日本進出が決まった。

流行の店というと次から次に新しい味を開発し、消費者の目を引く戦略が一般的だが、「ギャレット ポップコーン ショップス」は定番のフレーバーのみで勝負しているのが特徴だ。銅製の窯を使って少量ずつ丁寧に作る。その秘伝のレシピは65年間変わることなく受け継がれてきている。お店に必ずキッチンがあり、毎日フレッシュなものを提供していることが他店に負けない強みだという。流行を作る側の人間として、ずばり流行とは「世の中に今までないものを一から作りあげて、それがあたかもお客さんのニーズに合っているかのようにストーリーを伝えていくこと」。「お客様目線で、求められているものを先取りして伝えていく。それでお客様にこういうものを求めていたのだと気付いてもらえることが一番嬉しい」と矢野さんは話す。しかし同時に「流行で終わらないように」ということも大切にしている。「生活の近くにいつも『ギャレット ポップコーン』があるという状況を作ることが私たちのミッション」だそうだ。ただの流行の一過性のお菓子ではなく、マカロンやロールケーキに代わるギフト用のスイーツとして浸透させたいという。ちょっとした晴れの日に、少し贅沢をしたいときに買ってもらえる存在になり、「人々の日常に入り込むことが理想の姿だ」と矢野さんは熱く語った。
(山下菜生)


「かわいい」の最前線を伝える

提供:講談社
提供:講談社
10代後半から20代前半の女性に絶大な人気を誇る女性ファッション誌「ViVi」。30年以上にわたり読者に流行を提案、発信し続けてきた。ファッション誌としてどのように流行を取り入れ、またつくりだし、読者に届けるのか。「ViVi」編集長で塾員の鴉田久美子さんにお話を聞いた。


「ViVi」は昭和58年に創刊された女性ファッション誌で、「ファッションと美容に興味がある全ての女の子」に向けて情報を発信している。目指す女性像は「かわいくてかっこよくて色っぽさがある感じ」で「カジュアル感」があることが基本だ。そこに様々な流行を取り入れ、読者に提案する。




「流行」を提案するにあたり、まず行われるのは情報収集だ。シーズン始めに開催される洋服ブランドの展示会やコスメの発表会での新商品のチェックは欠かせない。加えてパリコレをはじめとする海外コレクションの動向も確認する。また、人気インスタグラマーの投稿や海外セレブの私服、身の回りのおしゃれな人も参考材料だ。

そして、集めた情報をもとに流行の選別、取り入れ、提案を行う。本誌のコンセプトやスタッフと読者の意見も考慮した上で次の流行を推測する。流行を提案するにはいち早く、かつ少し尖ったものにも進んで挑戦することが重要だと言う。

ただし、「提案が独りよがりになってしまってはいけない」と鴉田氏は強調する。すでに持っているものとの合わせ易さや、着回し易さなども考慮した上で、読者に買うべきものを明確に提示できるような心がけも大切だ。

重視されるのは提案の中身だけではない。誌面上で流行を体現するアイコンとして、専属モデルの存在は無視できない要素だ。専属モデルは個性が確立した人を選んでいる。流行に「着られる」のではなく、それぞれのモデルの個性もプラスして「着こなして」ほしいからだ。また、近年は女優業やタレント業を兼ねるモデルが多いため、モデルによる流行の発信意義はますます重大になってくる。

最後に、流行を提案、発信する立場として、最優先で伝えていることは何かを尋ねると「女の子はおしゃれをすることでもっとかわいくなれるということです。磨けば光る原石の時代に手に取って頂くことで驚くほど綺麗に変身される方もいるのです」と語った。

「かわいくなりたい」という思いで女性ファッション誌を手に取る読者。いち早く時代の流れを察知し、読者に流行を提案するファッション誌。そこでは、流行が「かわいい」を叶えるものとして利用されていた。
(佐久間玲奈)


「つながり」としての流行 時代とともに変わる役割
sawaiassyuku

私たちはなぜ流行を追いかけるのか。「みんな違ってみんな良い」というフレーズに共感し、際限なく個性を追求する現代において、なぜ周りの人々と同じものを求めるのか。この矛盾について考えるときに、流行の質の変化に注目する必要がある。



いつの時代も流行は私たちの生活の一部であり続けている。しかしその性格はある決まった形をもつのではなく、社会構造の変化にともない姿を変えていく。その大きな転換期となったのが高度経済成長期以降の70年代だ。

法学部の澤井教敦授によると、この時代に「基本家電製品などの耐久消費財の家庭普及率が約100%に達し、物質的な豊かさが広範囲で達成された」という。少品種多量生産の体制をとっていた企業は多品種少量生産体制へ舵をきり、買わなくても生活には支障がないものを購入してもらうため、製品の差別化競争が始まった。

こうした消費形態の変化は流行の中身をも変えた。「かつて流行というのは社会全体を覆うものであり、流行の曲とされたものは国民のほとんどが知っていた。ところが、多種多様な商品を消費できるようになったことにより各人の趣味や趣向が細分化され、一部の人々だけにしか流行らないものが増えてきた」と教授は語る。

それに加えて、流行の細分化はものが流行るスパンを短縮させ、入れ替わるスピードを速くした。「流行はいつか消えるものであり、そうでないものは流行ではないが、その消える間隔が今日では短くなってきている」のだ。サイクルが短くなったことにより、すぐに流行が廃れるのではないかという不安が付きまとい、これがまた流行を加速化させる 。

では社会全体を覆わなくなり、移り変わりが速くなってもなお、人々が流行に惹かれるのは何故なのか。

バブル経済の崩壊から始まった1990年代以降、社会は流動的なものとなった。大規模なリストラが行われ、社会福祉が削減され始めたように、私たち一人一人の生活に対して国家や企業が一つの見本となるレールを敷くことはなくなった。「生き方や価値観が流動化し、不安定なものとなった現在、様々な場面でつながりが薄くなり、それによって生じる不安を何とかして解消しようとする。そのための手軽な道具として流行が使われるのだ」という。流行はつながりを感じる手段としての意味をこれまで以上に持ち始めたのだ。

何かを共有したいと思う一方で、私たちは周りと差別化を図りたいと欲する存在だ。「流行に乗ることで安心感が得られ、さらにその中でも最新のものを追うことで優越感を抱くことができる」。時代に応じて形を変えながらも、流行が存在し続け、人々を魅了する理由がここにあるのかもしれない。
(小林良輔)