日本の大学生が学生でいられる期間というのは、たいていは4年間である。文科省が実施した昨年度の学校基本調査によると、4年制大学の学部在籍者数約255・2万人に対して、短期大学在学者数は約13・6万人だ。割合で言うとおおよそ19:1であり、学生が100人いればそのうち95人は4年制の大学に通っている計算だ。
ここで「4年間」という期間に着目してみよう。小学校は6年間、中学校、高等学校はそれぞれ3年間だ。こうして見ると、大半の大学生に与えられている4年間という学生期間は数字の上では十分であるように見える。
しかし蓋を開けてみると、大学生の多くが2年生や3年生になって「4年間は短い」「せめてあと1年は欲しい」といった、学生期間の延長を求める言葉を口にしている。「4年間は長すぎる」「早く卒業したい」という声はあまり聞かれず、多くの大学生が口を揃えて4年間の大学生活は短いことを主張する。
このことについて、いま一度考察してみたい。大学という場をどのように捉えるかによって、4年間の学生生活というものに対する考え方が違ってくる。
学校教育法第9章の第83条には以下のように記されている。「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」「大学は、その目的を実現するための教育研究を行い、その成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする」。このように、学校教育法の「大学」の項目では高等教育機関である大学の目的や存在意義が定義されており、修業年限を4年とすることが定められている。 大学を純粋な学問の場として捉えた場合、4年間という期間は十分であると考えられる。だからこそ、学校教育法で4年間が修業年限となっている。
だが今となっては、大学を純粋なアカデミックな場所だと捉えている学生は少数派だ。もちろん大学が学ぶ場所であることに異論を唱える者はいないだろうが、必ずしも学びたいから大学に入学するとは限らない。それは時代と共に大学の性質が変化してきたことに起因しており、是非を問えるようなものではない。
こうした背景を踏まえると、多くの学生にとって大学生活期間は4年間では足りないものとなる。大学は学びだけのための場所ではないからだ。やりたいことやすべきことが無数に見つかってしまう。
就職活動の影響も無視できない。今年度より就職活動開始時期が後ろ倒しになった。大学生の本業である学問に専念できるように、というのが目的とされるが、実際には短期集中型の就職活動を強いられることで、就職活動を意識し始める時期はむしろ早くなったという声も聞かれる。これにより、体感的には学生生活はさらに「短く」なるだろう。
大学の性質が変化した今となっては、もはや4年間にこだわる必要性は感じられない。
最高学府としての性格に加えて、大学生が社会に出る準備をする場所ともなっている大学では、4年間という時間は短いのかもしれない。この限られた時間の中で、学生は最大限何ができるか。もし在学中に本気で取り組みたいことが見つかったなら、休学してチャレンジしてみるという選択肢もあるだろう。学生自身も定められた時間の中で思考錯誤するべきだ。
近年盛んに叫ばれている「大学改革」では大学のグローバル化などの面ばかりが注目されがちである。大学もそうした改革で教育機関としての存在を高めていくことも大事だが、それだけでなく、4年間で、社会に出る前の学生にどんな価値を提供できるか。また学生を取り巻く環境はどうあるべきなのか、考えてみる必要があるだろう。
(川瀧研之介)