もともと、マネージャーになる気など微塵もなかった。
中高時代の部活は華道部。小学校からの女子高育ち。アメフトともマネージャーとも関係のない世界に生きてきた。今思えば半年前―「信濃町まで一人で行くのは心細いから」と友達に見学の動向をせがまれ、まだ芽吹いていない日吉の銀杏並木を後にしたのが、全ての始まりだったような気がする。
よくマネージャーをしている理由を聞かれるが、実は自分でもよく分からない。初めて練習の見学に行った時「あぁ、私はこの部に入るんだろうな」と思ったことだけは鮮明に記憶しているものの、あの時そんな直感がなぜ働いたかも分からない。
世間で思われている華やかなイメージとは裏腹に、現実のマネージャーの仕事は厳しい。わが医学部アメフト部では、ウォーター作りにはじまり、練習時間やボールの管理、ビデオ撮影、試合進行の記録付け、合宿時の洗濯、配膳などが割り当てられている。先輩のマネージャーさんはこれらの仕事を難なくこなすが、新人の私は全てのことで必要以上に焦る。その労力たるや恐ろしい程で、練習後の疲れの大半を占めるといっても過言ではない。
確実に私は駄目マネだ。これまでに犯した失態を挙げればきりがない。笛を吹くタイミングの悪さ、ビデオ撮影の失敗、試合に出場している選手の足を踏む……。十月の上旬に行われた駿河台大学との試合で、誤って相手の選手にウォーターを補給しに行きそうになった時、私は本気で部のためにマネージャーを辞めようと思った。
でも結局、私はアメフト部のマネージャーを続けている。今の私は選手が見せる真剣な表情、勝利した時の屈託のない笑顔、そして何よりさりげなく言われる「ありがとう」という言葉に支えられている。初めて練習に行った、四月初旬のまだ寒い日の夜―暗がりの中、煌々と照らされたグラウンドから「こんにちはー」と声をかけてくれた選手の姿を今も私は忘れることができない。迷惑をかけてばかりの駄目マネを温かく迎え入れてくれる選手・マネージャー達が、あのグラウンドにいる。アメフト部が私を必要としているのではない。私がアメフト部を必要としているのだ。
半年前にはまだ芽吹いていなかった銀杏並木が、色づく季節となった。少しでも選手や先輩マネージャーの役に立てるようにと、私は最近少しずつアメフトの勉強を始めた。練習用のボストンの中にジャージとアメフトの本をしのばせ、今日も私はグラウンドに向かう。
(田畑早枝子)