「代表取締役社長」。誰もがその響きに憧れたことがあるだろう。慶大経済学部を昭和45年に卒業した塾員の一人には、麒麟麦酒(キリンビール)に就職後、代表取締役社長という地位まで登り詰めた人物がいる。キリンホールディングス代表取締役社長の三宅占二氏だ。彼は営業から始まったキャリアを地道に積み重ね、今もなお第一線で活躍している。そんな彼の就職後のキャリアアップには、一体どのような弛まぬ努力の軌跡があったのだろうか。
三宅氏の学生時代は専ら野球に熱中する毎日だった。慶應義塾中等部で野球を始め、大学では体育会準硬式野球部に所属した。この10年間で「練習ハ不可能ヲ可能ニス」という小泉信三の言葉をなんども噛みしめたという。大学1年の秋に初めてバッターボックスに立った時、対戦相手だった法政大のエースを前に全く太刀打ちできなかったことがあった。ところが4年生の秋のリーグ戦では、同じピッチャーからヒットを打つことができ、さらに優勝を勝ち取ることができた。4年間諦めずに努力すれば、一定のレベルまでは達成できることを実感した瞬間であった。
大学卒業後は、「自分の好きなもので、より生活に密着したものを作りたい」という思いから麒麟麦酒に就職した。営業部長として大阪に転勤した際には、東京の会社であるために、商売相手としてなかなか受け入れてもらえず苦労した。またキリンの合弁会社であるハイネケン・ジャパンの副社長に就任した際には、オランダ人とのコミュニケーションの取り方にはじめは戸惑った。しかし、このような苦難は、社外でも積極的に信頼関係を作るよう励んだほか、語学も上達させることで乗り越えた。自分のやり方を柔軟に変えることが、慣れない環境でうまくやっていくコツだという。
これから進路を決めようとしている塾生へ、三宅氏は「視野を広く持ち、グローバルに活躍する意欲を持ってほしい」と語る。自分のやり方に固執せず多様性を受け入れることで、お互いの強みをミックスすることができる。キリンでもそのような若い社員が増えることを願っているという。
努力の積み重ねと、柔軟性を持つこと。当たり前のようで難しいこの二つを実践する意義を、三宅氏は体現していた。 (平沼絵美)