関東学生新聞連盟は2008年に、学生新聞団体の相互扶助を目的として発足した。2010年に連盟新聞を発行したあと、しばらく大学間の交流は途絶え、活動も実質停止状態になっていた。
昨年ようやく団体間の交流を復活し、活動を再開。現在、青山学院、慶應義塾、上智、一橋、法政の5大学が加盟し、活動している。現在の活動は、毎月のミーティングが中心で、互いに紙面の検討を行うなど各紙面の向上に励んでいる。
今回の合同企画は、交流再開後初めて5大学での紙面発行となる。テーマは就職活動。いずれの大学も、これから就職活動を迎える方々にとって後押しとなるような記事を書いた。もちろん、就職活動をしない方、終えた方にとっても興味深い記事なので、ご一読いただきたい。
(連盟長 斉藤航)
■青山学院大学新聞
就活後ろ倒し その影響
2016年度卒業予定の学生は、経団連が発表した新たな指針により就職活動の開始時期が15年卒より大幅に遅れる。会社説明会など、広報活動の解禁時期は3年生の12月から3月へ、面接などの選考活動は4年生の4月から8月へと後ろ倒しに。学業優先という名目のもと決定された今回の就職活動時期の繰り下げ。実際には学生生活にどのような影響を及ぼすのだろうか。
就職情報サイトのマイナビによれば、後ろ倒しで例年よりインターンシップへの参加や学業、課外活動のための時間が確保しやすくなるという。夏期休暇中に選考活動が行われることで学業との折り合いをつけやすくなるとも言われる。だが、選考活動が8月からになってもエントリーシートの提出時期は授業期間と重なる。夏季休暇についても卒業論文の準備が本格化するため、学業への影響が例年より大きくなる可能性もある。新制度のもとで学業や課外活動を優先しやすくなったとは言い難い実情もある。
さらに、選考の時間が短縮されることで準備不足の学生はこれまで以上に就職活動が困難になるだろう。就職活動の時期が後ろ倒しになったことで一度失敗してしまうとリカバリが効きにくい。
また注意すべきは、経団連が発表した指針どおりの日程で採用活動を行わない企業もあることだ。外資企業やベンチャー企業などを中心に、経団連に未加盟の企業は今までと同様のスケジュールで選考を行う場合がある。そのため、早いところでは3年生の1、2月の時点で内定を出す企業もある。自分が受ける業種、企業が決定している人は現時点でスケジュールを確認することが重要だ。 (阪口泰都・笹口健太)
自分の原点を忘れずに
日本最大級の不動産・住宅情報サイト『HOME’S』を運営する株式会社ネクスト。その設立者で代表取締役社長の井上高志さん(91年・経済学部卒)に、起業に至るまでの経緯と起業にまつわる話を聞いた。
学生時代の自分を「サークルとアルバイトを楽しむ、いわゆる”普通”の学生。何の目標も信念もなく、なんとなく日々を過ごしていた」と振り返る井上さん。しかし、ある企業の集団面接で挫折を味わう。
同時に面接を受けた学生が学生時代に力を注いだことや、人生の目標を堂々と語る一方、自分には胸を張って人に語れるものがないことに気づいたのだ。自分の未熟さを痛感した井上さんは、「就職して5年以内に独立する」、「人生をかけて一大事業を成し遂げる」という2つの目標を掲げ、それまでの自分を変えようと決意。就職先も「入社5年以内にどれだけ鍛えられるか」という観点で選択し、当時急成長していたマンションディベロッパーに就職した。
新卒で配属されたマンションの営業で、井上さんが起業するに至った原点の出来事がある。ローンの審査が通らず、落胆していた夫婦に「なんとかして、ぴったりの物件を探してあげたい」と考え、自社の担当外の物件から他社の物件まで情報を集めて紹介。会社の利益にならない行動ではあったが、無事に希望通りの物件を購入できた夫婦がうれしそうに挨拶しに来てくれたとき、今までにない喜びを感じたという。「こんな笑顔をもっと増やしたい」。その思いが起業の原点になっている。
かねてより不動産業界における事業者と消費者間の大きな情報格差に疑問を抱いていた井上さんは、これを機に「誰もが手軽に探せる物件情報」をコンセプトに、住まいの情報サイトである『HOME’S』を設立。しかし、事業立案やマネジメント、プログラミングのノウハウや経験が一切なかったため、創業当初は多くの厳しい現実に直面したという。
そんな自らの経験を踏まえた上で「自分の原点を忘れず、何のために働くのかを意識することが大事」と井上さん。「社会に対して何ができるか、どんな価値を提供したいか、どう変えたいか。これらを真剣に考えて心から情熱を燃やせる目標を見つけてほしい」と学生にエールを送った。 (阪口泰都)
■慶應塾生新聞
アイドルに学んだ就活
大切なのは「ぶれない軸」
就職活動に臨むとき、自分の個性を知ることは大事だ。個性をもとに自分をしっかりアピールすることができると、面接の受け答えなどで説得力が増す。
中島裕一朗さん(経4)は「アイドル好き」をアピールポイントに就職活動に取り組み、テレビ局の内定を獲得したというから興味深い。アイドルと就職活動がどのように結びついたのだろうか。
中島さんがアイドルに興味を持ったのは中学時代。友人と一緒に行ったAKB48劇場で、会場の一体感に感動したのがきっかけだった。当初は周囲の視線が気になり、アイドル好きを公言することはなかった。一方で、数多くのライブに参加する中で、いつか自分の手で多くの人の心を動かす空間を創り上げたいと思うようになる。
そして大学入学後、学生団体・AGESTOCK実行委員会に所属し、イベントの企画を手掛けてきた。3年次には代表を務め、1年間で1万人以上を動員。アイドルのライブに参加した際にはイベントの演出を細かく観察し、会場の一体感の作り方などを学ぶ。好きなものだからこそ、そこから多くのことを吸収し、学生団体での活動に生かして自身の成長につなげてきた。
中島さんは自身の就職活動を、「周りと比べて動き出しが遅かった」と振り返る。インターンシップなどにも参加せず、本格的に取り組んだのは会社説明会などが解禁される12月から。自己分析や企業研究をするにつれ、テレビ局への想いは増していった。「自分のやりたいこと、アピールすべきことがはっきりしていたのであまり焦らなかった」という。
採用試験では、アイドルを通じて学び、自身のイベントに生かしてきたことをアピール。観客と作り手、両者の立場でイベントに携わってきたことで、イベントの盛り上げ方を自分なりに確立できた。自分が本当に好きなものだからこそ、採用担当者に強い印象を残せたのではないかと話す。その結果、見事テレビ局の内定を獲得した。「いつしか、番組やイベントでアイドルを総合的にプロデュースし、大衆の偏見を壊すような仕事をしたい」と力強く話す。
中島さんは、「就職活動はアイドルから学べることが多い。グループ内で自分の立ち位置を理解し個性を発揮できるメンバーは人気が出る。就職活動でも同じように、集団の中で自分の個性を武器にできる人は強い。」と共通点を指摘する。これから就職活動を迎える人に向けては、「AKB48が『会いに行けるアイドル』、私立恵比寿中学が『永遠に中学生』というコンセプトを貫くように、ぶれない軸をもち、自分のやりたいことを忘れないでほしい」とエールを送る。 (斉藤航)
■上智新聞
真のグローバル人材とは
「グローバル人材とは何か」。この問いに明確に答えることのできる上智大生がどれだけいるだろう。大手メガバンクのグローバルマーケティング部門に内定を受け、就職する予定のNさん(総合人間科学部・社会福祉学科4年)。小学校時代に2年間、高校時代に3年間イギリスで教育を受けた。本学3年次にはスウェーデンに留学。海外経験の長さを武器に、グローバル人材を求める企業を中心に就職活動を行った。Nさんのどのような能力が評価されたのか。
大学入学後、Nさんは多くの留学生との寮生活を体験。その際、異文化に属する外国人との相互理解のために努力したという。留学生は門限などの寮の規則に対する理解が浅く、日本の「常識」が通用しない。そこでNさんは、留学生の言葉に耳を傾けながらも日本の文化や風習を丁寧に説明。結果、留学生に規則を守ってもらい、良好な関係を保つことができた。「普段は意識されない自国の文化風習の特殊性を認識し、異文化を理解しようと努める態度が大切だと分かった」。
語学に堪能なNさんだが、外国語の能力はあくまで道具に過ぎず、それさえ身に付ければ良いというわけではないと話す。Nさんは尊敬するグローバル人材に、緒方貞子氏と知花くらら氏を挙げる。その理由を「お二人とも語学に堪能ではあるけれど、国際協力・社会貢献活動に尽力していて、海外で確実に日本人のイメージを高めている」と説明。行動に裏打ちされた、人間性や奉仕の精神が真のグローバル人材になるには重要であると言えよう。これは上智大学の提示するグローバル人材像とも一致する。
Nさんは上智大学やスウェーデンでの学習から社員を大切にする会社、地球社会全体を見通す態度の会社を理想としていた。Nさんが就職する予定のメガバンクはこれらの理想像と一致しているという。「周りの学生が自分より早く内定をもらうと焦ってしまうが、大きく構えて本当に自分に合う企業を探して欲しい」とNさんは後輩達にアドバイスした。 (水戸義瑛)
■一橋新聞
プロレス、留年、何事も全力で
就職活動での不本意な成果を理由とした留年は今や珍しくない。留年はせずとも、就職活動に翻弄された大学生活を送る学生は少なくないだろう。大手自動車メーカーに勤務する原弘介さん(14年・社会学部卒)は留年を経験した一人だが、留年の理由は「プロレスをやるため」だった。
原さんは在学中の5年間、一橋大学世界プロレスリング同盟(通称・プロ研)に所属。「就職活動のことは3年前半まで何も考えていませんでした。勉強も単位さえ取れればという考えで(笑)」。そんな大学生活に転機が訪れたのは、3年次の6月に行われたKODAIRA祭(コダ祭)興行の場だった。原さんの出場試合で、けが人の出る事故が発生。プロ研の活動は無期限停止となった。当初原さんは、翌年11月の一橋祭までには活動再開の許可が下りると踏み、この年の後半に就職活動を始めて内々定も得ていた。しかしさまざまな事情が重なり、内定式直前の9月には年度内に活動を再開できないことが明らかになった。
原さんはすぐに、留年を決意した。「活動停止の原因は自分。責任を取らなければと思っていました」。その後、事故から2年を経た昨年のコダ祭で興行を再開。原さんは一橋祭の中夜祭興行で7万2千人の観衆(プロ研発表)を前に華々しい引退を飾った。
留年というと、選考への影響が気にかかるが、原さんはそういった実感はなかったという。「面接官に表立って非難されたことはなかった。留年の不安はありましたが、むしろほかの就職活動生と違う波乱万丈な生き方をしているのだと前向きに考えていました」。
「面接などへの不安感から小手先のテクニックに走る学生がいるが、人事担当者には見抜かれているのでは」と原さん。留年を経て二度就職活動を経験し、企業側と学生側での意識の食い違いを感じた。「評価されるのは、目の前のことを真剣にやれる学生だと思う。部活でも、勉強でも、無駄な時間でも何でも、全力でやったらいい。就職活動のことばかり考え過ぎず、楽しくやれよ、って思います」。 (笹口健太)
■法政大学新聞
自主マスと切り開いた道
法政大学にはマスコミ業界への就職希望者で構成される自主マスコミ講座(自主マス)がある。1990年の開講以来、千人近くの学生をマスコミ業界に輩出してきた。そこで自主マスに1年次から参加し、報道記者職に内々定を受けた浅井俊輔さん(社会学部・メディア社会学科4年)に自主マスや就職活動について話を聞いた。
自主マスはアナウンサー、新聞・報道記者、出版、放送、広告、基礎の6コースに分かれている。毎週土曜日にリクルートスーツ姿の学生が集まり、講座の卒業生やマスコミ業界で活躍する外部講師を招いて授業を行う。
ノンフィクションライターの宇都宮徹壱氏に憧れていた浅井さんは、1年次に自主マスに参加。プレゼンテーションなど発表する機会が多い自主マスの授業は、人前に立つことが苦手な浅井さんにとって辛いものだった。だが授業数を重ねるにつれ恥じらいが消え、度胸がついていった。
2年生の秋から浅井さんは新聞・報道記者コースに進んだ。模擬記者会見や時事問題を調査してのプレゼンテーションなど、より専門的な授業が展開されるようになる。就職活動が動き出した3年生の冬には、面接や筆記試験対策をみっちり行う合宿に参加。就職活動の合間には頻繁にコース生と顔を合わせ、情報交換や面接練習をした。不安に襲われる一人の時間をなるべく作らないよう心掛けた。「面接練習でも冷静に助言をくれたし、同じ業界を目指す人と不安や辛さを共感し合うことで、何かと安心して頑張ろうと思えました」。
浅井さんは就職活動を振り返り「もっとOB訪問をすればよかった」と話す。OB訪問は実際に現場で働く人の声を聞くことができる貴重な機会。自分がその仕事に対して抱いているイメージと実際がどう食い違っているのか確認していくのがコツだという。また浅井さんは、面接で聞かれたら嫌な質問や自己分析などを書き出す就職活動ノートを作った。「なぜ自分はこの仕事がしたいのかを暗い部屋でひたすら書いていましたね(笑)。実際の面接では『会場に着くまでの間に気になったことは何か』という奇をてらった質問を受けて戸惑いましたが、結局は素直に思ったことを答えるのが大切だと気付きました」。
最後に、浅井さんの理想の記者像について聞いた。「話をしてあげたいと取材相手に思ってもらえるような記者。『教えて下さい』という謙虚な姿勢を忘れず、真摯に相手と向き合っていきたいです」。 (渡邉彩花)