阿部次郎の『三太郎の日記』は、高校と大学の日吉5年間の砂漠を救うオアシスであった。1冊目はつぶれて代わりの2冊目も手澤で黒く布のように柔らかくなった。しかし世に鳴る旧制高校風の教養主義にはまりこんだ青春にも払いきれない若干の空虚感が付きまとった。それは、公立小学校から北里と福澤に感発し志をもって入った普通部での同期生と数人の教員の輝かしい人間性と気風に反応して形成された気質からすると、あの教養主義には着実な創造への構造が抜け落ちているように思われたからである。
たしかにそのオアシスは今から見れば明治大正昭和の二流ドイツ観念論学者たちの泥沼であった。漱石の弟子世代から漢学古典主義のうちうちを欠く模倣洋学に転落したと、京都学派では唯一の例外の唐木順三が自己批判したのは正しい。明治の東大哲学にも戦前と戦後の京都学派にもそれだけではなく日本漢学伝統の別の深い泥沼がひかえていた。各種の宗教観念とくに禅宗思想からの脱却ができないでいたからである。彼らやギリシャ古典学者には世界史ことに近代史を理解することができない。この間の狭い道を悠々と先導したのが、日本では荻生徂徠、福澤諭吉、丸山眞男と、マックス・ヴェーバーを含む一連の欧州思想家である。友人に紹介され3年生の末から非公式に参加したゼミナールの会読で与えられたのが、ヴェーバーの『社会科学の客観性』や『職業としての学問と政治』とその背後にある主著大作群である。
当時の慶應経商系研究会には、徂徠学と適塾から一貫する会読の伝統がまだ生きていて、激烈な論戦も交えて理解を深めていく愉快な場であった。ドイツとフランスが結合した観念論こそは、世界と人間の最も現実的な認識を達成した。ちょうど世界大戦敗北後の日本中の大学で新日本の指標として読まれることになったヴェーバーは、実業家、政治家、官僚や記者たちによく引用されてきた。近くは小泉氏が後継首相の「三条件」に言及した。しかし単なる引用をこえて古典を消化して運用する域に至るのは、新世紀に活躍するはずの今の塾生諸君からであろう。ヴェーバーものはライン河両岸の西ドイツと北フランスにわたる近代欧州市民の新しい仕事の精神構造をやや絶望的に主張したもので原文でもまして日本語訳でも、いわんや英語訳でも理解しがたい深い意味に溢れている。今の日本は急激に福澤とヴェーバー型の精神体質に転回しつつあり、これを読みこむ好機と見られる。