1989年、後に日本映画界に新風を巻き起こし、ジャパニーズホラーの金字塔として全世界に名を知らしめることとなる、一つの小説が完成した。

言葉の「腕力」が想像力を刺激する

 『リング』。デビュー作『楽園』以前に書き上げた作品であり、作家・鈴木光司にとっては初めての長編小説であった。自分でも結末の見えない原稿を前にして、彼は確信していた。「これは、間違いなく面白い作品になる……」。

 完成までに要した時間はわずか3ヶ月。信じ難いほど短期間で『リング』の世界は生まれた。

オカルトに興味は無かった。その趣向は、『リング』の大々的ヒットを経験した後の、現在に至っても変わらない。視覚に訴えるようなグロテスクな恐怖。そんなものには到底及ばない恐怖の存在を、経験上知っていたからである。荒れた海でのクルージング、プロの格闘家と本気で向き合った試合。本物の恐怖は常に現実、それも日常の中にあった。 

 ホラー小説『リング』は遺伝子を題材とした内容となっている。この作品が与える恐怖が他のオカルト作品と一線を画しているのは、その巧妙なまでの「科学的論理性」にある。日本の「もののあはれ」の文学界が見落としてきた、有無を言わさぬ説得力を前にして、読者は想像せざるを得ない。小説『リング』と実世界の、奇妙なまでのリンク。そして、リングウイルス感染者となり得る、自らの立ち位置に対する恐怖を。

 「小説っていうメディアは、どのような形(ジャンル)であっても、作家の意見が反映されてないといけないと思う」

 日本の作品が好む「あはれ」は、作家の意見を隠す傾向にある。しかし、彼の作品には読者を自身の世界へと惹きこむ際に、明らかな「力」を感じさせる。それも感覚的なそれではなく、「腕力」に似た「力」だ。ダイナミックな自己表現、そして物事の考え方については、アメリカ人の知人にさえ、「アメリカ人みたいだ」と評されるという。

世界の解答探る涸れない好奇心

 妻が高校教師をしていたこともあり、自宅での作家活動は子育ての傍らで進められた。そのため、教育問題についても関心が強い。

 旧厚生省から声を掛けられたことをきっかけに、首相直属の「少子化への対応を推進する国民会議委員会」の委員としても、様々な形で意見している。

 日本人に必要なのは情緒教育ではない。日本人に情緒は十分備わっており、欠如しているのはむしろ論理性だ。『リング』作中で繰り返される言葉は、彼自身の主張でもある。

 「運命を変える力を持て」  

 感情に訴えるだけでは運命を変えることは出来まい。

 彼の抱く哲学の源は、世界への好奇心である。特に、何かの始まりと終わり、例えば恐竜の絶滅、言語の発生、進化論などは謎に満ちており、何一つとして解明されてなどいない。

 「この世界は、仮想世界だと思った方が、いっそ分かりやすい気がするよ」

 実際、世界のことなど本当は誰も何も分かってはいないのだ。この世界は物理的あるいは数学的な小さな誤差で、瞬時に崩れてしまうだろう。仮想世界だと言ったところで、誰がはっきりと否定出来るだろうか……。そう力説する彼にとって世界が曖昧である以上、小説のアイディアが涸れることはない。

 現在執筆中の『edge city』は、『リング』三部作(『リング』『らせん』『ループ』)を越えた超大作ホラーになる予定だ。その内容は、人間の脳から地球の核に至るまで、自らの好奇心の働く事象を幅広く扱っている。

 彼は次の野望について「世界の仕組みを知りたい」と語った。自分が見出した世界への解答について、「simpleかつbeautiful」な言葉で、物理学者を唸らせてみたい、と。

 novelの語源はnewだという。新しいものや、広い世界が描かれていなければ、それを小説とは呼べないのだろう。なるほど、鈴木光司は正真正銘、novelistという名の冒険家である。

(谷田貝友貴)