ワールドカップ最終予選も始まり、注目される日本サッカー。そのトップである日本サッカー協会の会長が犬飼基昭氏(1965年商学部卒)だ。

 大学時代はサッカーに専念した犬飼氏。入学してすぐの4月、日本代表としてアジアユースに出場したため、帰国後、大学でフランス語の授業に全くついていけなかったという。ただ、「教授がサッカー好きだったため、単位はもらえた」と当時の思い出を語ってくれた。

 4年の時には主将として、大学選手権を制覇し、慶大が日本の大学の代表として、韓国の大学と対戦した。当時、メディアに大きく取り上げられ、注目された中で6連敗。韓国の大学王者との最終戦に最後の望みをかけ、激戦の末に勝利。主将としての責任の重さを感じた犬飼氏は、最終戦に勝利したとき、涙が止まらなかったという。

 「人生であんなに泣いたのはあの時だけ。やはり日本を代表するものとして、韓国に全敗は許されない。主将としてのプレッシャーが大きかった」

 大学卒業後に、三菱重工に入社。社内のサッカー部選手として日本リーグで活躍後、三菱自動車の社員として、海外で約20年間仕事をした。海外で働いて、「日本人は世界の人と比べて変わっている。日本人が普通だと思っていることが、そうじゃないこともたくさんある」と感じたという。

 こうした海外経験を積んだ後、2002年に、浦和レッズの社長に就任。当時、Jリーグで下位に低迷していたチームを、一気に強豪チームに引き上げた。そのことについて犬飼氏は、「別に特別なことをしたわけではない。クラブを強くするためにどうしなければならないか、それだけを考え、妥協せずにやったら強くなった。レッズのファン相手にプレッシャーも感じたが、やるべきことをやって、うまくいった」と語った。

 浦和レッズでの実績も評価され、今年7月、日本サッカー協会の会長に就任した。会長という立場についてこのように話す。
 「日本中の期待を背負う代表が注目されるが、それは氷山の一角でしかない。子どもたちからシニア、女子サッカーなど、日本中にサッカーを根付かせるために努力しなければならない。一つ一つ日本のサッカー界のためになるようにと考えながらやっている」

 浦和レッズの社長や、日本サッカー協会会長といったトップとして活躍されている犬飼氏。組織を率いる際に、何を重要視しているのだろうか。

 「重要なのは、やるべきことを見極め、決断を下すこと。つまり、それはリスクを負うことである。今の日本社会はリスクを負わないようにという姿勢があるが、トップはそれではいけない。絶対に逃げられないという立場は大変だけど、やりがいはある」
 塾生へのメッセージとして、犬飼氏は次のように語った。

 「今の大学生は仲間と何かをすることが少ない。コンピュータの方が仲良いでしょ。いろいろな仲間と話すことで、物事の考え方が作り上げられる。勉強で得た知識も大切だが、仲間との交流で得られることは大きいし、そこで得た経験が人生で生きてくる」
 日本中のサッカーファンの期待を一身に背負いながら、日本サッカーのために働く彼の原点は大学時代の仲間と過ごした時間にあった。

(岩佐友)

犬飼 基昭
1942年生まれ、埼玉県浦和市出身。慶應義塾大学卒業後、三菱重工業に入社し、サッカー部に所属。現役引退後、三菱自動車に転籍し、海外本部欧州部長、欧州三菱自動車社長などを歴任し、2002年に浦和レッズ社長に就任。2006年には日本サッカー協会常務理事に就任し、今年7月、川淵三郎氏の後任として日本サッカー協会会長に就任。