大学生の間に読んでおくべき一書を挙げることなど、経験に鑑みて書けば良いのだから、容易である、と思ったのが間違いであった。沢山あり過ぎて決められない、というのではない。専門である「刑法」関係の本を想い出して適宜薦めれば簡単なのかもしれないが、実は、それらを含め、何を読んだか記憶に残る/残すような読み方をしてこなかったし、残ったものも50歳を境にいわば抹消してしまっていて、具体的に語れる本がないことに今更気付いたのである。

簡単に言えば、感動し大きな影響を受けたという印象の残る書籍は少なくないが、何処が何故に良かった/悪かったので推薦する、ということを説明することができないのである。総ては、昇華された一情景としてのみ心に残り、自己の身体に分離し難く組み込まれるに至っている。

例えば、食事代を削って純文学の新刊小説を買い漁っていた20歳前の頃を想うと、出口裕弘『京子変幻』(1972年・中央公論社)や大庭みな子『胡弓を弾く鳥 (1972年)』(1972年・講談社)という書名が、今尚それぞれ固有のクリアな私的イメージに伴われて浮かび上がってくるが、何故にその2冊なのか、理由は主観的には不明である。

価格の割に読み終わる迄の時間が短すぎるなどの経済的理由もあって、フィクションを全く読まなくなっている現在に比すると、その頃に何故、法律書以外は、小説ばかりであったのか、その理由もまた定かでない。自己の未だ経験したことのない世界・人間社会を知ること、あるいは、事実よりも不思議なものを観念することに魅せられていたのであろうか。

他の分野の書籍との出会いも、同様の状況であったように思われる。要は、自分にとって未知であるが故に不安で興味を覚え、知ったときの安堵感と嬉しさを求めて、分かち合ってくれる他存在の知識・感覚を共有しようと試みていたのであろう。そして、その試みの対象は「自己」でもあり得るのである。その関連において、また、現在の社会状況との関連において、これまた理由は巧く言えないのであるが、鮮烈なイメージと共に浮かび上がって来る書が、アルベール・カミユ『シーシュポスの神話』(シジフォスの神話)である。清水徹訳の新潮文庫版が2006年に改版された。同文庫にあった矢内原伊作訳も懐かしい。

可能であれば、同『反抗的人間』と共に、一度触れてみることをお勧めする。

伊東 研祐
1953年8月7日生まれ。1976年東京大学法学部第Ⅰ類卒。東京大学法学部助手、金沢大学法文学部講師、同大学法学部助教授、ワシントン大学ロースクール客員研究員、名古屋大学法学部教授、司法試験考査委員等を経て、2004年4月から慶應義塾大学大学院法務研究科教授。2007年慶應義塾大学大学院法務研究科副委員長に就任。主な著書は『法益概念史研究』(成文堂・1984年)『現代社会と刑法各論[第2版]』(成文堂・2002年)、『法科大学院テキスト刑法総論』(共著、日本評論社・初版:2005年、第2版:2007年)、『刑法総論』(新世社・2008年)など。