その日、筆者は山梨にいた——。8/10。新宿から電車とバスを乗り継ぎ、約4時間。ようやく、山中湖畔の小高い丘に位置し、壮麗な富士の嶺を眼前に望む「慶應義塾体育会山中山荘」に到着した。何も日々の鬱屈に耐えかねて、荷物片手に家を飛び出して来たわけではない。1927年に建設(1983年に再建)された由緒あるこの「体育会山中山荘」で、今年も合宿(1次、7/29〜)を張っている慶應義塾大学体育会蹴球部の動向をチェックするためだ。

この日の山中湖周辺、朝は肝心の富士山こそ霞がかって拝むことが出来なかったが、高地特有の澄んだ空気と共に眩しいほどに日が差し込み、湖面に反射した光がゆらゆら揺れていた。筆者も俄然気持ちの高ぶりを抑えられない。だが、午前の練習が始まったあたりからジリジリと太陽が照りつけ、汗が吹き出るような暑さになったかと思えば、一転午後からは雲行きが怪しくなり、雨が降り始め途中雷鳴とどろき、雨が降り止んでからは辺り一面霧が立ち込め、今度は大量の虫が発生する始末。「山の天候は変わりやすい」とはよく言ったものだが、いずれにせよ、ラグビーがオープンフィールドで行われるスポーツである以上、天候の影響から逃れることは出来ない。それは選手も観客も同じである。

さて、前置きが少し長くなってしまったが、ここからは本題の「山中湖合宿」について。練習は朝9:00にスタート。まずは、ゆったりとしたペースでのモール・ラックからの展開、ブレイクダウンの練習を繰り返す。ワンプレーごとに林監督がプレーを止め、その都度選手たちに指導を施す。間にストレッチを挟み、徐々に体をほぐしていく。体が温まってきたら、今度はFW陣とBK陣に分かれての練習。これを11:00頃まで続けた。FW陣はラインアウトやスクラムといったセットプレーの確認に余念がない。一方でBK陣は、素早くボールを回すことに重点を置き、パスの練習を繰り返している。林監督もこの日はBK陣につきっきりであった。ただ、一旦休憩タイムに入ると、監督自らが場を盛り上げる役を買い、時折、監督を中心に笑いの輪が広がっていく。見ていて何だか微笑ましい。その光景を端から見ていて、先日話を伺ったときに監督が語っていた「この130人でラグビー出来るのは、生涯に一度きり。これが寂しくて寂しくて・・・。でもだからこそ、花崎らと共に日々一生懸命、悔いの残らぬようラグビーをやり抜きたいと思っているんだ」という言葉が、刹那脳裏をかすめる。林監督と山縣有孝・BKS担当コーチ(2005年度副将)、花崎亮キャプテンの三者が笑顔で会話を交わしているのを見ても、今回の合宿が順調に進行しているのは間違いなさそうだ。

午後1:30からは、ジュニアの選手たちによる部内マッチが行われた。ここで言うジュニアとは、1年生から4年生までの、今のところレギュラーには届かないが、これからレギュラーを窺おうとする選手たちのことである。ただ、この試合で良いパフォーマンスを披露し、今後の練習でもそのパフォーマンスを維持できれば、長野・菅平のサニアパークで行われる、帝京大学(8/19)と関東学院大学(8/24)との練習試合の遠征メンバー40人の枠内に組み込まれる可能性が高まる。勿論、目先のセレクションだけでなく、ここでの頑張りが秋開幕の対抗戦、冬の大学選手権にも生きてくる。「黒黄(こっこう)のユニフォームを着てプレーしたい」。観客は、選手の父兄ら30名程度プラス犬3匹(!)と、なんとも牧歌的なものであったが、試合に出場する選手たちは皆モチベーション高く試合に臨むことが出来ている模様。まさに、気合十分といったところだ。

肝心の試合内容であるが、カメラのファインダー越しに選手たちの動きをつぶさに観察した限りでは、例えばディフェンス時のタックルは全体的に高く、慶應伝統の低く鋭い、膝下にズバっと突き刺さるようなタックルはあまり多く見られない。自分のプレーに精一杯で周りの選手との連携が今ひとつ、局面での状況判断もワンテンポ・ツーテンポ遅く、「モーションラグビー」とは名ばかりの、ボールをただ左右に回しているシーンも散見された。だが、そのような技術面での粗さを補って余りある選手たちの活力。エネルギーの充満。林監督も「(選手たちから)チャンスを掴むんだ、という強い意思を感じた。スキル云々の前に、彼らの精神の充実は素晴らしいね」と、こんがり小麦色に日焼けした顔を綻ばせ実に嬉しそうだ。はじめから全力疾走、ペース配分を誤り最後は皆一様にガス欠、間延びした展開となったが、これも今はまだ「ご愛嬌」といったところか。

技術面の向上もさることながら、今後一層フィットネス・ストレングスに注力することが肝要。ジュニアの試合後に行われたシニア(レギュラーメンバー)の練習を見ていても、その点は痛感した。とにかく、強くて早い。言葉にすると単純だが、監督の掲げる「モーションラグビー」をピッチ上で見事に体現していた。「シニアの牙城を崩すのは容易ではないな」というのが筆者の率直な感想。しかし、ジュニアの選手たちが今後シニアの選手たちを脅かすことが、チーム全体の底上げに繋がるのは間違いない。彼らの奮闘を願わずにはいられない。

After Recording 取材を終えて…

午前の練習、午後のジュニアの試合とシニアの練習の取材を通じて感じたのは、今年は若い選手にレベルの高い奴が多いなということだ。「今年の1年には良い素材が多い」と林監督も語る通り、昨年、主将として神奈川・桐蔭学園高校を花園(全国高校ラグビーフットボール大会)ベスト4に導いた、高校日本代表FB 仲宗根健太(総合1)は、BKのレギュラー組としてこの日の練習に参加。180cm、90kg。しっかり身の締まった、抜群の肉付きだ。加えて、昨年まで慶應の主軸として大車輪の活躍を見せていたWTB山田章仁(現ホンダヒート所属)の高校の後輩にあたるWTB小川優輔(環境1)も、BKのレギュラー争いに食い込む勢いを見せている。このあたりは、上田昭夫氏(元慶應義塾大学蹴球部監督)の面目躍如たるスカウティングの賜物だ。彼が実際に高校の試合に足を運び、自分の目で見て確かめる。慶應に足りない部分を見極め、的確な補強を行う。長年の「スカウティング行脚」で、高校とのコネクションにも抜かりなし。非常に心強い限りである。

最後に、ジュニアの試合を取材して、個人的に気になった選手についても記しておきたい。

LO南善晴(環境1)=写真右上。大分舞鶴高校時代には仲宗根同様、高校日本代表にも選出された逸材である。伝統的にFWが強力、FWに良い人材が揃う大分舞鶴高校でも、その地位を確固たるものとしていた。何より目を引くのが、187cm、88kgと現段階で既に理想的とも言えるその体格。父兄からも「あのロック、良い体してるねぇ」との声が上がっていたほどだ。何より筆者がここ数年、慶應蹴球部の取材を続ける中で一番の「泣き所」と考えていたのがこのポジションであった。セットプレーに関して、スクラムはまだ仕方ないとしても、とにかくラインアウトが安定しない。ラインアウトは出し手(主にHO)と受け手の息さえ合えば、ある程度精度を高めることが可能だと思うのだが、実際の試合中にもラインアウトのミスを頻発し、モメンタム(試合の流れ)をみすみす相手に手渡すといったことも多くあった。セットプレーの安定は、今年8月のルール改正の影響もあって、一層重要となる。それだけに、この大型LOの補強は、慶應にとって非常に理に適ったものと言えるのではないか。個人的にも、同じ県の出身ということもあって、「同郷の誼(よし)み」ではないが応援したくなる。この試合では幾分気合が空回りしたのか、彼本来の力を発揮するには至らなかったが、まだ1年生。これからの素材だ。今後もじっくりと長い目で見守っていきたいと思う。

(2008年8月15日更新)

取材・文 安藤 貴文
写真 安藤 貴文