言葉は人間の根幹
日本語には多くの方言が存在する。単語のアクセントひとつとっても、地域によって発音はさまざまだ。なぜ日本語にはこのような方言のバリエーションが生まれたのだろうか。また、標準語が全国に広まるなかで各地の方言はどのように残っていくのだろうか。
「方言を話すことは各地方のアイデンティティのひとつ。言葉は個々が築いた文化のひとつなのです」と語るのは、日本語の方言に詳しい国立国語研究所の木部暢子氏。
方言はさまざまな理由から生まれる。山や川などの地理的要因や、江戸時代、藩に分けるという政治体制がとられ、藩ごとに違った言葉を話し、変化していったことが、方言が生まれる一要因となった。また、人の流動が少ない時期や地域では各地の方言が成熟しやすくなる。
しかし、どこか有力な地域があると、この地域の方言に合わせようとする意識が働き、方言のバリエーションが減る。ヨーロッパでは、民族、宗教の違いからいろいろな言語が存在しているが、それぞれに優劣はなく横並びの関係であるので、強い文化に同化しようとはしない。一方、日本人は「みんな一緒」という考えで一気にある有力な方言に同化してしまうことがあり、方言が廃れてしまう原因になる。この考えは言葉だけでなく、日本人の文化全体にいえることだ。
方言のうち廃れずに残りやすいのは形容詞だ。その方言でしか言い表せない感情、動作、状況がある。たとえ方言がなくなっても生活に支障はなく、困ることはないだろうが、このような方言が失われてしまったら、地域の人々の精神の根源までも失われてしまう。共通語だけでは表現できないものは各地にあるのだ。この地域独特の表現は、どんなに共通語が浸透してもなくならないだろう。「言葉には生まれる背景、理由がある。言葉から『人間ってこんな発想をするのか』という発見がある。言葉は人間の根幹なのです」と話す木部氏。方言が失われるということは文化そのものが失われることと等しい。言葉を守るということは地域のステータスを守るということなのだ。
これから先も生活レベルで日本全体がひとつのコミュニティになるということはない。方言もネオ方言と呼ばれる形で残っていくと考えられる。ネオ方言とは、共通語をベースとし、その中に意識的、無意識的にアクセントや文末表現、形容詞などに方言が現れることだ。聞いて分からなくないが、地域の特徴は残る。このような形で新しい地域差ができるだろう。木部氏は最後に「理想はみんなが方言のバイリンガルになることだ。2つの言葉を知っていると微妙な違いに気が付くことができ、人生が豊かに、考え方が豊かになる」と語った。 (柳井あおい)