塾生時代 や内視鏡について語る 比企氏

第695回三田演説会「恕して『医』を行う―未だロウアウトならず―」が先月11日、三田演説館で開催された。登壇した医学部三四会長、比企能樹氏は医学部卒で塾生時には体育会端艇部所属。演説では、内視鏡の可能性や端艇で五輪に出場した思い出を語った。
「恕して」とは「おのれの心の如くに人の心を思いやり」という福澤諭吉も重んじた言葉。「ロウアウト」はボートの試合で力尽きて意識を失うくらい精いっぱい漕いでゴールすること。比企氏は若者と内視鏡の今後に期待を寄せた。
内視鏡は1807年に考案され、1881年に初めて胃がんの検査に実用された。しかし、当時の内視鏡は苦しいものだった。そこで、負担の少ない内視鏡の開発が進む。
比企氏はあえて長期間患者を追跡調査し、早期胃がんを治療すると、術後10年の生存率が約90%と、高いことを見いだした。日本の内視鏡検査は早期胃がんの発見、早期治療を可能にした世界に誇るべき技術だとした。
早期胃がんは小さいため、腫瘍部分だけを取り除く切除術やレーザー治療、腹腔鏡手術が考案され、内視鏡によって傷口を最小限にとどめ、患者の負担を減らした。
比企氏は慶大入学後、端艇部に入部し、練習地獄を味わった。メルボルン五輪の代表を決める決勝リーグへの出場権を獲得し、新聞社が不利とした土手評(下馬評を指すレガッタ用語)を翻して見事優勝。演説会では当時の決勝戦の映像が放映された。
体育会での活動に力を入れた比企氏であったが、友人の協力により無事医学部を卒業。また、五輪ではオーストラリアの選手と友情を築いた。比企氏が端艇部で得たものは友だという。
演説後、端艇部の同志を紹介するなど和気あいあいと締めくくられた。