思い出話に花を咲かせるOBの方々

「塾生注目!」「銀玉」などと聞けば、大半の慶大生はピンと来るはずだ。「ひよ裏」でラーメンを食べるのも塾生の定番になっている。しかし、これらに代表される現在の塾生用語や塾生生活、いわば「塾生文化」はいつごろ慶大生の間に広まり、根づいたのだろうか。その起源を探るべく塾員の方々にお話を伺った。今回お話を伺ったのは、昭和56年卒の佐藤裕久氏、昭和63年卒の岸田歩氏、平成8年卒の吉田吉完氏、の3人である。

 

まず初めに、現在「塾生用語」として学生の間で使われる言葉について。

記事冒頭でもあげた、大人数の中で注目を集めたいときに用いられる「塾生注目!」については、お三方とも「知っている」との答えが。やはり伝統的なフレーズのようだ。

続いて「ひよ裏」。飲食店などが立ち並ぶ日吉駅西口のことを現在ほとんどの塾生がこう呼んでいる。この言葉については一番卒業が早い佐藤氏だけが「知らない」という答えだったが、比較的古くから使われていたと考えられる。

さらに、大学入学後、日吉の銀杏並木の銀杏の葉が全て散るまでに恋人ができないと、その後4年間恋人ができないという「銀杏伝説」について。意外にもお三方とも「知らない」という答えであった。どうやらここ10年ほどの間に作られた「迷信」であるらしい。この話を聞いて安堵を覚えたのは筆者だけではないはずである。

駅の改築やバブル景気も大きく影響

キャンパスを取り巻く環境自体の変化についても伺った。現在の塾生は知る人も少ないだろうが、日吉駅が改築されたことが印象深いそうだ。現在待ち合わせスポットとして利用される「銀玉」と呼ばれる駅構内のオブジェは、3人が在学中にはその存在自体がなかったという。

また、現在日吉生におなじみの「ひよ裏」のラーメンだが、3人ともいわゆる「ひよ裏」で塾生に頻繁に利用されるラーメン屋の名前は知らないそうだ。当時「ひよ裏」での食事と言えば定食屋を利用していたと、3人とも口々に語っていた。日吉駅周辺の環境も変化するにつれ、塾生の文化も大きく変わったようだ。

一方、三田でラーメンと言えば「ラーメン二郎」が有名だが、こちらは3人が学生時代にもよく利用されていたという。「二郎」と塾生のつながりは長いものであるようだ。

最後に、塾生生活について。昔から今と変わらずテニスサークルが主流であったらしいが、昭和63年卒の岸田氏は、「ゴルフサークルの数も2桁に上っていた」と話す。また、「多くの学生がマイカーを所有していた」とも。バブル全盛であった時代背景をうかがえるエピソードだ。

時代を超えて受け継がれるものや、周りの環境とともに変化するものなど、さまざまな「塾生文化」。慶應の卒業生と話す機会があったら、こういった文化についてお話を聞いてみるのはいかがだろうか。       (斉藤航)