「大学在学中は、バイトばかりしていた」。そう語るのは、スタジオジブリ代表取締役社長、鈴木敏夫氏。数々の名作を生み出してきた名プロデューサーの塾生時代とは、どのようなものだったのか。

大学生活の大半をアルバイトにあてていた鈴木氏。勉強はほとんどしていなかったそうだ。それは時代の流行だったと語る。

「僕らの世代は明確な目標を持ちにくい時代だったと思います。目標に向かって努力するという言葉は目標があった時代に存在する流行語ですよ。富 国強兵や戦後の経済復興とか。僕らの時代にはなかった。そのせいか僕は大学に入っただけで、目標もやりたいこともなかった。それが後ろめたくて勉強はできなかった」。

何もしていなかった鈴木氏が思ったのは「働きたい」ということだった。

「一番初めは、川崎のゴム工場。次に四谷の泉屋のクッキー売り、他には競輪場のガードマンやデパートの催しの会場飾り付け…あるとき数えたら三 〇近くのバイトをしていましたね。なんでこんなにやっていたか。働くと安心するんですよ」と語る鈴木氏。もちろん、働いて得たものは安心だけではない。

「バイトのような身の回りのことをやっていくうちに、自分の得意分野を見つけることができた。目標を持ってなかった僕は、自分を見つけること で、今度はそれを活かせる職業を探す。これが僕の就活でしたね(笑)。そこで見つけたのが出版社でした。それもバイトで文章が書けることに気づいたからやることにしただけで、本当は雑誌なんて読んだことないし興味すらなかった」。

鈴木氏は「興味あること」や「好きなこと」を仕事にしないことがポイントだと言う。

「仕事は生活の糧を得るためにするのだから、本来苦しいものなんです。だから好きなことを仕事にすると、好きなことが嫌いになってしまうかもし れない。これは僕にとっては耐え難いこと。だから僕は書くことは好きだったけど、中日新聞に就こうとしなかった。大好きなドラゴンズを嫌いになるのはつらいからね(笑)」。




出版社で雑誌を担当するようになり、出逢ってしまったのが宮崎駿だった。「宮崎駿という人と、友達になってしまったから」と、氏はその後宮崎駿と共に道を歩む理由を一言で言い切った。だが、そこでひとつの壁が現れてしまう。

「実は僕は映画も大好きなんです。でもそこはアニメーションは映画ではないと自分を納得させてしまいました(笑)。僕にとって仕事は生活の糧を 得る手段と考えているから、結局どんな職種についても、仕事への姿勢は変わらない。あの時は本当に割り切る覚悟だけが重要だった」。

仕事への一貫した義務感が、成功を呼び寄せたのかもしれない。

最後に塾生へのメッセージを伺った。

「大事なことは、いつも、半径三メートル以内にある」。将来ばかりに目を向けず、目の前のことに目を向けることで、より自分に近い多くを見つけることができる。それはとても大事なことである。

世界のジブリを支える鈴木敏夫氏の学生生活。それは、目標を見つけようと躍起になっている大学生に、新しい見解を与えてくれるものであった。

 

(永瀬真理子・石山裕都)