賑やかな日吉キャンパスの奥にひっそりと存在している矢上キャンパス。慶大理工学部の拠点であり、キャンパス内では日夜研究活動が盛んだ。しかし、そこで行われている研究や、理工学部の実態について知っている人は意外と少ないのではないだろうか。この連載では、慶大理工学部の現状についてさまざまな観点から見ていきたい。
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前回の連載では慶大理工学部の評価に迫った。その中で、あまり塾生からいい声が聞けなかった理工学部の研究内容を紹介したい。知られざるその成果を探るべく、機械工学科の山崎信寿教授にお話を伺った。
山崎教授の専門分野は人間工学。「日本人間工学会研究奨励賞」を4度受賞するなど、その分野では権威的な研究者である。教授が開発した製品の代表作は「女の椅子」という、下肢のむくみに悩む女性のためのオフィスチェア。毎年1万5千脚程度の売り上げをあげている人気製品である。
人間工学とは、人間の解剖学的特性(筋肉や骨格)と生理的特性(呼吸や感覚)、心理的特性(感情)の3つを測定し、さまざまな製品を開発していく分野である。山崎教授は「人間を知ることと応用することが一つになった学問」であるとも話す。
どのような場面で人間工学が生かされているのか。例えば、電車のロングシート。混んでいるため、本人だけでなく周囲の人も不快にしないことを目標に、身体構造と着座実験から、自然に膝を閉じて足を引くような座面を設計した。
今、教授が製品化途上の物に「腰痛負担軽減ウエア」がある。介護労働や農作業など、腰に負担をがかかる作業が多い方たち向けの姿勢補助器具である。従来のコルセットというようなものでは常時筋肉を補助するため、体を支える筋肉自体がだんだん衰えてしまう欠点があった。しかし、教授の開発した腰痛負担軽減ウエアは、オムツ交換や植え付けなどのように上体を深く前傾したときにのみ、背面の弾性ベルトの張力で筋肉を補助する仕組みになっているため、動きも自由で筋力低下も防げる。
身近にあるものをより快適なものにしていこうと、多様な製品を開発している山崎教授。そのアイデアは日々の体験の中から生まれると言う。しかし、自分で体験できることには限りがあるため、「様々な分野・立場の人たちと交流すること」を大切にしている。その声を聞くことで、それぞれの現場で今何が必要なのかを感じ取り、新たな製品を発想していく。
他分野との連携が大切である人間工学において、教授は慶應の自由度の高さを評価している。「理工学部に限らず、学生が思っているほど学部や学科の垣根は高くない」環境の中で、教授自身も医学部や文学部の考古学チームなどと、連携して研究したこともあるそうだ。他大には見られないこの自由度の高さにより、自身の研究の幅も広がっていると話す。
しかし、教授は人間工学研究者の少なさを心配していた。また、企業の専門部署も少ないため、いざ人間工学が必要になっても、核となる人材や設備が整わないそうだ。研究内容の発展もさながら、その成果を企業などにどう根付かせていくのかが課題であり、今後はさらに、人間工学を発想の道具にできるレベルまで、企業育成をしていきたいという思いの内を語った。 (小林知弘)