高校の世界史資料集に掲載されていた、科挙のカンニング用下着。当時受験生だった私はその写真を見て、倍率3000倍とも言われる中国の官僚登用試験に思いを馳せた。科挙のような過酷な試験に比べたら大学入試なんて楽なものだ、と自らを鼓舞する。夏の暑さを知らずに過ごした、高校時代最後の夏休みであった
▼当時からずっと不思議に思っていたことがある。官僚になるための試験で、詩や文など教養面を重視したのはなぜだったのか。詩に通じていることと実務において有能なことは何か関係があったのか。最近になって、中国文学を専門とする教授とお会いする機会があり、この積年の疑問を解決するヒントを得ることができた
▼中国の詩は厳格な格律、声律に則って作られ、これは国内共通のルールとして認識されていた。広大ゆえに多方言社会である中国を統制するには、共通ルールを持つ詩を理解できる人間でなければならなかったという。政務を行う官僚たちが作詩を学ぶことは、均質な言語規範の形成に少なからず貢献していたようだ
▼7月末、文化庁により「国語に関する世論調査」の平成19年度の結果が公表された。現在の日本語に対して、言葉は変化するものだという肯定的な意見が年々増えてはいるものの、やはり乱れを自覚しているという声が大半を占めるらしい。各メディアや政府により漢字教育の強化や暗誦教育の必要性が唱えられる。そこには古き良き国語を守ろうとする意識の他に、国民統合のための国語統一というイデオロギーが働いているのかもしれない。
(永瀬真理子)