新緑が目に染みるほどだ。日吉キャンパス5月、日の光を透かす若葉の下で1年前を振り返る。すぐ側に見える3号館は入口に入るまでにも長蛇の列が作られ、その光景は私に1年前を思い起こさせた。
* * *
慶大生の多くが初のキャンパスライフを日吉で過ごすことになるだろう。全体が背の低い校舎で構成され、青空の吹き抜けのような開放感溢れる校舎。銀杏並木の緑はこぼれ落ちてきそうなほど豊かに、キャンパスまでの道のりを包んでくれる。
文学部の学生として昨年1年間を日吉で過ごし、現在2年生として三田に学び舎を移す今、私は日吉キャンパスというものは生きていると感じる。季節ごとに異なった姿を見せる。いつのまにかその変化に取り込まれ、変化を自分が構成していることに気付かなかったからだ。
* * *
新入生を迎えた日吉キャンパスの4、5月は異常なまでの活気を呈す。中庭では大勢の男女が楽しげに談笑し、授業が終わるチャイム毎にたくさんのざわめきと足音が通り過ぎる。まだ知り合いになって間もないクラスの友人とすれ違うとき、会釈をするかどうかの一所作すら神経を使う時期。有り余る時間と使い道のわからない自由。
「大学合格」という、目の前にあるゴールだけを追いかけていた高校時代、決められた時間割をこなしながら「大学へ入ればやりたいことを思う存分できるだろう」という漠然とした期待を疑うことなく毎日を過ごしていた。
* * *
環境の変化に身を任せた4月はあっという間に過ぎ、GW明け、学び舎から豊かだった萌芽の息吹が消えていた。共に授業に出ていた友人がいない。中庭や、食堂にあった溢れるほどの音の洪水が消えていた。眩しいと感じていた、光を浴びる新緑の照り返しも、今は地面に大きな影を落とすものへと変わった。
サークルの先輩から受け継ぐ「楽単」情報、薄く広い大学生同士の繋がり方。抜き方を覚えた手には、高校時代に夢見ていた「やりたいこと」を掴んでいる様子はなかった。外で大学名を問われ、「慶應義塾」と答えるたび、今自分と大学を繋ぐものは何かと考える1年が続いた。
* * *
1年後、他学部の友人たちを残し、1人日吉を去った。三田に行くと、そこにある圧倒的な「軸」に不安になった。三田は日吉のように、学び舎自らが学門の扉を開いてくれる場所ではなかった。「やりたいこと」を見つけろ、と寛大に近寄ってきてくれる場所ではなかった。
学びを既に見つけ、自身の軸を安定させた者にこそ、高みを目指す手助けをしてくれる。日吉でのあの長い1年間で何かを見つけなかった自分。三田での更なる学びの土台になるものは日吉のどこにあったのだろう。
* * *
木漏れ日に身を委ねながら新入生の足元を見る。私が見落とした「やりたいこと」のかけらはどこに落ちているのだろう。そう問いかけても、青空を照り返す地面はどこもきらきらとしていて、1年前のかけらなんて、もう見つかりそうにもなかった。
(堀内将大)