テレビをつけると、あらゆる番組で華やかな「オネエ系」タレントが画面を賑わす時代になった。歯に衣着せぬ物言いと、その人生経験ゆえの優しさで男女問わず幅広いファンを持つ。
個性派揃いの面々のなかでも「知性派」としての地位を確立するミッツ・マングローブ氏。政治・経済から芸能まで鋭い切り口でコメントするミッツ氏は慶應義塾高校から慶大法学部政治学科を卒業した塾員である。そんなミッツ氏に学生時代の思い出・慶應への思いを伺った。
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女装家タレントとしていまやテレビで見ない日はないミッツ氏。教養が垣間見えるコメントに加え、伯父に国民的アナウンサーの徳光和夫氏を持つエリート一家出身という経歴も注目されている。現在はテレビの仕事のほか、週に2回、東京・丸の内にあるスナック「来夢来人」のママを務める。
小学5年生から中学3年生をイギリスで過ごしたミッツ氏。帰国後、両親のすすめで慶應義塾高校を受験。併願校は志木高・NY高のみという慶應で固めた受験だったという。「親戚にも慶大出身がいたし、ここで慶應に入ったことで両親への義理を果たしたつもりだった」。授業が終われば日吉のカラオケなどに行き、とにかく遊んだ。世間がイメージする「慶應ボーイ」を演じていたと話す。
大学進学後はドアボーイや家庭教師などのアルバイト、バンド活動に明け暮れ、夜は新宿2丁目に出入りするようになった。「高校、大学時代を一言で表すと惰性。でもあの頃は同性愛を一学生の立場で堂々と語れなかった。その後の人生から考えると一番自分を律して社会の決まりに沿っていた時期だった」と話す。
就職活動をする気持ちはなく、英国のウエストミンスター大学へ2年間留学、音楽パフォーマンスについて制作やビジネス面から学んだ。夜はクラブに行き、さまざまな人生経験を積んだという。ここで理屈で考えるよりも、「出たとこ勝負」が自分に合っていると痛感した。
帰国してからは、語学力を生かして昼は通訳を、夜は新宿2丁目のゲイ・クラブでドラァグクィーンとして舞台に立った。「10年ほどそんな生活をして、そのあと来夢来人にママとして雇われ、テレビに出るようになって…流れるままここまで来た感じ」と振り返る。
「私は生理的に嫌いじゃなければとりあえずやってみるというスタンス。今の時代は、面白いかつまらないか、自分に向いてるか向いてないかなど、辿り着く所が自分に適していないといけないという観念が強すぎて若い人も窮屈だと思う」と話す。
慶應については「慶應はある意味でどこでも守られている。社会に出ても慶大出身同士というだけで繋がりができるし、安心することができる」と語る。「学費を払っている以上、その利点は感謝して享受すべき。ただ世の中には慶應の威光が通用しない場所もあることを知っておけばいい」と語る。
「慶應生には、安心感があるゆえの脆さがあると思う。それをカバーする武器を在学中に見つければいい。あとは怪我しない程度に目一杯はしゃいでください」と慶大生にメッセージを送った。
(西村綾華)